W2ST-1.赦しってなに?

2013年07月11日
ワークブック・パート②特別解説 0

If egg is broken by outside force, life ends.
卵が外側からの力で壊された場合、命は終わる。

If broken by inside force, life begins.
卵が内側からの力で壊された場合、命は始まる。

Great things always begin from inside.
偉大なことはかならず内側から始まるのだ。



Anonymous
作者不詳



他人を赦すことのできない人は、自分自身が渡らなければならない橋を壊しているようなものだ。人は誰でも赦さなければならないからだ。

フラー_1129120026

トーマス・フラー




抵抗すれば、それは存在し続ける。



カール・ユング





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今回は、ワークブック第2部から赦しについての特別解説をご紹介します。


「赦し」

「赦し」は奇跡のコースの概念の中でも、なかなか本当に理解することの難しいもののひとつです。


赦しは、贖罪を実現するための手段です。

贖罪も、赦しと同じように、その言葉が従来から持っている意味合いによる影響からの脱却が困難な概念です。

赦しについて理解するうえで、赦しが手段として奉仕する目的である「贖罪」についての理解は欠かせません。


蝶


「贖罪」

さて、コースでいう「贖罪」の意味は、もともとの言葉の意味である罪を「贖う」(あがなう=買い取る・償う)、すなわち、罪が現に存在することを前提として、罪によって生じた害悪に対して、同等の犠牲を払うことでもって埋め合わせて罪滅ぼしをして打ち消そうとするもの、という意味とは違うということでした。

そうではなく、罪が現実であるという認識が錯覚であることにとことん気づいて罪を幻想として取り消すことによって、そもそもの土台である罪が現実であるという前提のほうを掘り崩すということでした。


「赦し」と「許し」

「赦し」についても、贖罪と同じように、この世界でのもともとの言葉の意味があります。

それを「許し」という漢字をあてて表現するならば、許すことは、他人の犯した罪について、許す者が寛大にも、情けによって、見逃してやるという意味です。

許してやる理由はさまざまです。罪を犯した本人が反省しているからとか、損害を賠償するなどして、罪によって生じた害悪を「贖った」からであるとか、罪を犯した者の家族が更生させることを確約しているからとか、いろいろあります。

恩赦や特赦のような、国の慶事や政治事情といった偶然の事情で許してもらえることもあったりします。

いずれにせよ、「許し」は許してもらう者の犯した罪の実在性を前提とするものです。

罪が現にあることを揺らぐことのない事実とするので、許してやるにしても、どのような事情を考慮に入れるか、どのような基準で判断するか、許すとして、どこまで許すのか、といったことが無限のバリエーションを持つことになります。

つまり、許してもらう人にとっては、自分の身に免罪という「奇跡」が起こるかどうかには、実現可能性に程度があり、難易度に序列があるということになります。

こんな許しが奇跡のコースのいう「赦し」であるはずがありません。

贖罪と同じ仕組みで、ほかの誰かが自分にしたと思っていた「罪」は、本当は起こったことではないということに気づくことが赦しです。


世界が実在すると信じる強さに応じて赦しは困難になる

浮世の垢にまみれ、この世界こそが現実だという信念が骨の髄まで染みこんでしまっている私たちにとって、真の赦しは、奇跡に難易度の序列がないことを理解することと同じように「難しい」ものです。

とはいえ、この難しさは、私たちがこの世界、幻想の中に没入しきっているからこそ生じるものです。

自分の家族が、あまりに深くロールプレイングゲームにのめりこみ、自分の大切な仲間キャラを殺した敵キャラを「許せない!」と言って、本気で仲間の敵討ちに「命懸け」になっているのを見たら、空寒い感覚を覚えて何とか目を覚まさせたいと思わないでしょうか。

人の感情移入の力というものはとても強いものです。


私たちが舞台で演じられる物語の登場人物だとしたら?

俳優が、役柄になりきってしまって、撮影が終わってもしばらく、人格が戻らなかったりするということがあるといいます。

私たちのこの「自分」もひとつの役柄、一キャラクターだったとしたら、どうでしょうか?


俳優が舞台や映画で役柄を演じる以上に、キャラクターに没入して高精細のリアリティをもった世界の中で長年演じつづけるのです。

そう簡単には、役柄から抜け出せはしないということがわかります。

ですが、仕組み的には、これと同じにすぎないということは確かに言えると思います。

世の中には、役柄になりきって、とことんそのキャラを演じきる俳優もいれば、与えられた役が気に入らないとでもいうように、演じることに違和感を抱き続ける俳優もいます。

舞台が創作にすぎないことに気づくのは、こんな俳優のほうということが多いのかもしれません。

役柄になりきった俳優が嬉々として演じることを満喫している(ちょっと嘘くさいと思う出来事があっても、演技が楽しくて仕方がないので、役得とばかりに、そんなことには目を瞑ってしまいます)傍らで、役柄に疑問を抱く俳優は、ふとした瞬間に、景色の一部が書き割りのセットにすぎないことに気がついたりしはじめます。
トゥルーマン・ショーのトゥルーマンのようにです。

バニラ・スカイのデイビッドやマトリックスのネオもそうでした。

奇跡のコースに触れる私たちもそうです。

気づきはじめたなら、中途半端にやめるわけにはいきません。

夢の舞台は、私たちを割り当てられた役を演じ続けることへと引き戻そうとあらゆる手立てを尽くします。

幻ですので、本当に無限に幻惑するための手段があります。

ある人にとっては、ガツンと深刻な出来事を突きつけるのが「現実」に引き戻すために有益であれば、そのような人生の重大事件をぶつけてくるでしょう。

満たされた実生活で、それなりに満足しているが、何か物足りなさを感じては精神世界を渉猟していたという人を引き戻すためには、満たされた生活の基盤を崩すだけでも、「現実」を思い出させるに十分でしょう。

また、艱難辛苦を嘗め尽くすような壮絶な人生が気づき始めるきっかけになっている人には、平々凡々たる日常こそが「現実」を実感させるのであれば、平凡な毎日を提供してくるかもしれないし、あるいは、脚本を変えて、巧妙にも、苦難を味わった者だけが選ばれし者として他の羊のような者たちを「導く」尊い役目を担わされるのだというような「天命」を授けて、「現実」に引き戻すことまでするかもしれません。

それでも、一度でも疑問を持ったが最後、その役者は、舞台を降りるその日まで、突きあげてくる疑問を押し殺すことができません。

そして、ひとつの舞台が終われば、また次の舞台が待っているのです。





赦しはエゴの脚本通りの物語に幕を引く

赦しは、贖罪の完了、つまりこの世界と言う舞台に幕引きをするための道具です。

幕引きと言っても、舞台監督であるエゴの持っている脚本どおりの筋書きを上演し終えることではありません。

逆に、本来のエゴの予定する筋書をぶち壊していく作業です。

舞台袖には、聖霊というマネージャーが控えていて、俳優が耳に付けている無線インカムを通じて、俳優が質問すれば、どうしたらいいか教えてくれます。

書き割りのセットを見つけたら、それを認めて片付ける、監督が役者としての自分に期待している次の演技に気づいたら、あえてその演技をしない、ということをマネージャーの指示を受けて進めていきます。

そうする中で、舞台の上で繰り広げられる愛憎劇はすべて脚本に書かれた筋書どおりに、俳優たちが演じているエピソードの一つひとつにすぎないことへの気づきが深まってゆきます。

末代までも呪い殺してやりたいほどの仇敵の憎むべき悪行の数々も、脚本どおりに演じられたものでしかありませんでした。

気づくのは、その仇敵も含めた舞台で共演していたと思っていたほかの俳優たちも物語の登場人物にすぎなかったということです。

そして、自分が脚本に従って、仮面を被って特定のキャラクターになりきっていたことに気づいて、被っていた仮面を取った後には、役柄を離れた一俳優がそこにいます。



彼は、私は誰かと問うでしょう。

彼は、舞台に舞い戻って、ほかの俳優たちに「真実」を知らせて、何とか自分たちに押しつけられていた劇の目的を見いだそうとするでしょう。

多くの役者たちは、彼の言葉なんかに耳を貸そうともせず、それまで通り、劇を続けるでしょう。

中には、わずかながら、彼に耳を傾け、同じように、仮面を取る俳優もいるかもしれません。

質問の答えは、誰でもないし、誰でもあるというものです。


夢芝居

仮面を取った俳優が気づくことになる、もうひとつの事実は、そこに確固として存在しているように見える自分の身体もほかの俳優たちの身体も、夢の舞台を繰り広げるために用意された操り人形でしかなかったということです。

ふと、その俳優が目を遣ると、舞台上では依然として、ほかの人形たちが仮面を付けて悲喜こもごもの愛憎劇を演じています。

ですが、もはや彼は、かつてのように舞台に舞い戻って、積極的にほかの俳優たちに、「真実」を説いて回ろうとはしないでしょう。

ほかの俳優たちにはなかなか理解できないだろうというのがその理由ではありません。

ほかの俳優たちや舞台そのもの、舞台裏で暗躍していた裏方たちもひっくるめてすべてが幻であり、すべてが、自分が作り出したものだったことに気づいたからです。

ここに至っては、仮面を取り去り、自分自身だと思っていた身体が人形だったと気づいた俳優にとっては、自分も含めた誰か、自分の作り出した世界が真に目を覚ますのを待つだけです。

目覚めるのがどの人形をきっかけとして起こるかなどということはもう重要なことではなくなっています。

個々の自分たちは、真の自分の周りにこびり付いて固まった卵の殻のような存在にすぎないとわかったからです。

卵の内側には、生まれ変わった不死鳥がはばたく時を待ちかまえています。

鳥はつねに光を放っています。

殻のほとんどの部分は、深い闇で硬く凝り固まっています。

どこでもいい、卵の殻の一点に亀裂さえ入れば、あとは中から一羽の鳥が殻を破って飛び出してきてくれます。



その一羽の鳥こそが本当の自分だったのです。
 


チェシャ (1) (1)


Workbook Part2


1. What Is Forgiveness?
赦しとは何か



1. Forgiveness recognizes what you thought your brother did to you has not occurred.
 赦しは、兄弟が自分にしたとあなたが思っていたことは実は起こってなどいなかったのだと気づくことです。

 It does not pardon sins and make them real.
 赦しは、罪を許すことで、その罪を本物に変えることではありません。

 It sees there was no sin.
 赦しは、罪など何もなかったと見ることです。

 And in that view are all your sins forgiven.
 そして、そのような見方をすることで、あなたのすべての罪は赦されます。

 What is sin, except a false idea about God's Son?
 罪とは、神の子について抱く間違った想念以外の何ものでもないのではないでしょうか。

 Forgiveness merely sees its falsity, and therefore lets it go.
 赦しは、単に罪が虚構であると理解して、その結果として、罪を去らせるだけです。

 What then is free to take its place is now the Will of God.
 そうすれば、いまや造作もなく、神の大いなる意志が罪に取って代わります。



2. An unforgiving thought is one which makes a judgment that it will not raise to doubt, although it is not true.
 許さない思いとは、それが真実ではないにもかかわらず、そのことに疑問を抱かないよう価値判断して裁く思いです。

 The mind is closed, and will not be released.
 こんな心は閉ざされ、解放されることはなくなってしまいます。

 The thought protects projection, tightening its chains, so that distortions are more veiled and more obscure; less easily accessible to doubt, and further kept from reason.
 許さない思いは、その鎖の締め具合を強めて投影を守ります。そうなると、歪曲はより曖昧で不明瞭になって、容易に疑いを抱くこともできず、よりいっそう理性的な判断が困難になります。

 What can come between a fixed projection and the aim that it has chosen as its wanted goal?
 固定した投影と赦さない思いが自らの望みとして選んだ目標との間に、いったい何が割って入ることができるというのでしょうか。



3. An unforgiving thought does many things.
 許さない思いは、多くの所業をなします。

 In frantic action it pursues its goal, twisting and overturning what it sees as interfering with its chosen path.
 許さない思いは、自分が選んだ道の妨げになると思うものを捻じ曲げたり、ひっくり返したりしながら、死にもの狂いになってその目標を追い求めます。

 Distortion is its purpose, and the means by which it would accomplish it as well.
 歪曲することが赦さない思いの目的であり、この歪曲は許さない思いの目的を達成するために用いる手段にもなります。

 It sets about its furious attempts to smash reality, without concern for anything that would appear to pose a contradiction to its point of view.
 許さない思いは、自分の観点に矛盾するように見える物事に対しては何の容赦もなく、現実を粉々に打ち砕こうと猛烈な攻撃を仕掛けます。



4. Forgiveness, on the other hand, is still, and quietly does nothing.
 他方で、赦しは、静かに落ち着いて何もしようとはしません。

 It offends no aspect of reality, nor seeks to twist it to appearances it likes.
 赦しは、現実のどの側面を害することも、現実を自分が好む見かけ上の姿に捻じ曲げようともしません。

 It merely looks, and waits, and judges not.
 赦しは、単に見つめて待つだけで、裁くことはありません。

 He who would not forgive must judge, for he must justify his failure to forgive.
 赦そうとしない人は、裁きを下さざるをえません。というのも、彼は自分が赦し損ねていることを正当化しなければならないからです。

 But he who would forgive himself must learn to welcome truth exactly as it is.
 しかし、自分自身を赦そうとする者は、真理をまさにあるがままに喜んで迎え入れることを学ぶに違いありません。



5. Do nothing, then, and let forgiveness show you what to do, through Him Who is your Guide, your Savior and Protector, strong in hope, and certain of your ultimate success.
 そうだとすれば、何もせず、聖霊を通して、赦しに自分のなすべきことを示してもらえばよいのです。その聖霊はあなたのガイドであり、あなたの救い主であると同時に守護者であって、強い期待を抱きながら、あなたの最終的な成功を確信しています。

 He has forgiven you already, for such is His function, given Him by God.
 聖霊はすでにあなたを赦してくれています。というのも、赦しこそ、聖霊が神から授けられた役目だからです。

 Now must you share His function, and forgive whom He has saved, whose sinlessness He sees, and whom He honors as the Son of God.
 今こそ、あなたは聖霊の役目を分かち合い、そして、聖霊が救い、聖霊が罪のない者と見て、聖霊が神の子として敬っているその人のことを赦さなければなりません。


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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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