レッスン29「神は、私の見るあらゆるものの中にいる」
ヴェーダーンタ哲学においては、神以外の何ものも存在しないのだ。神以外の物も存在するように「思われる」が、それはただ神が自分とかくれんぼするためにそれらの虚像を作り上げたり、自分がそれらであるかのように装ったりしているからにほかならない。

アラン・ワッツ

レッスン29です。
今日のテーマは「神は、私の見るあらゆるものの中にいる」です。
汎神論
今日の考え方は、明らかに汎神論的な宣言です(”pantheism”は、万物は神の現れであり、万物に神が宿っており、一切が神そのものであるとする宗教・哲学観。ちなみに、汎「神」論ではなく汎「心」論”panpsychism”は、生物・無生物に関係なく万物に心があるとする宗教・哲学観)。
コースを学ばれている方には、神はこの幻想世界を創造しなかったし、この世界は神の子が悪夢として誤創造した瞬間に取り消されてしまっているので、この世界と神とは関わりを持たないはずなんじゃないの?
それなのに、世界の森羅万象の中に神が宿っているというのは、矛盾するんじゃないの?
と疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。
神は幻想世界に関知しないんじゃなかった?
たしかに、この世界は神の子が投影によってでっちあげた幻想の世界であり、神の現実とは無関係の、本来、神の関知する実在する世界でないことはもちろんです。
もっとも、目覚めないまま悪夢を見続けている私たち分裂した神の子たちは、世界のほうが厳然として存在しており、自分は世界によって翻弄されるちっぽけな存在で、被害者だと信じこんでしまっています。
世界が鏡だとすれば、このような愛のない分離の世界に映し出されているのは、分裂したエゴの仮面をつけた個別の心の捻じれた自己認識だということになります。
コースは、この誤ったアイデンティティーを修正することを目指しています。
三位一体
コースは三位一体を認め、神の存在面を称して「神」、神の機能面を称して「聖霊」、神の顕現面を称して「神の子」と呼びます。

「5. Nothing can prevail against a Son of God who commends his Spirit into the Hands of his Father.
自らの霊を父の手に委ねる神の子に勝るものなど何もありません。
By doing this the mind awakens from its sleep and remembers its Creator.
自らの霊を父の手に委ねることによって、心はその眠りから目覚め、自らの創造主を思い出します。
All sense of separation disappears.
そうなれば、すべての分離の感覚は消失します。
The Son of God is part of the Holy Trinity, but the Trinity Itself is one.
神の子は、聖なる三位一体の一部ですが、三位一体そのものはひとつです。
There is no confusion within Its Levels, because They are of one Mind and one Will.
三位一体の三つのレベルの間には何の混乱もありません。なぜなら、三位一体はひとつの大いなる心であり、ひとつの大いなる意志だからです。
This single purpose creates perfect integration and establishes the peace of God.
このただひとつの目的が完全なる統合を創造し、そして、神の平安を確立します。
Yet this vision can be perceived only by the truly innocent.
けれども、こうした光景は、ただ真に潔白な者にしか知覚できません。
Because their hearts are pure, the innocent defend true perception instead of defending themselves against it.
無垢な者たちの心は清らかだからこそ、彼らは正しい知覚から自分たち自身を守ろうとするのではなく、正しい知覚を守ろうとするのです。
Understanding the lesson of the Atonement they are without the wish to attack, and therefore they see truly.
彼らは贖罪の教えを理解しているので攻撃したいと望むことなどないし、それゆえに、彼らは正しく見ることができます。
This is what the Bible means when it says, 'When He shall appear (or be perceived) we shall be like Him, for we shall see Him as He is'.
これこそ聖書が次の声明で言わんとすることの意味です。『彼が現れるとき(知覚されるとき)、私たちは彼に似たものとなるであろう。なぜなら、私たちは彼をあるがままに見るだろうから』。」(テキスト 第三章 II. Miracles as True Perception 二 真の知覚としての奇跡)
つまり、究極的には、一者である神しかいない。
「神、在り」というやつです。
ただし、すべてが神だから幻の世界の中の万物も当然神だという発想ではありません。
幻は実在しないという点は譲りません。
世界の眺め方を変える
ですから、無である幻想の中に神が宿るというのは、たしかに矛盾的表現になります。
それにもかかわらず、今日のテーマのようにレッスンが表現するのは、ある狙いがあってのことです。
それは、あとに続くレッスンからもわかることですが、一連のレッスンで、世界の見方を変えることで、誤った知覚の修正をしてヴィジョンを得るためです。
つまり、幻想の世界の背後には、神の現実である天国へと移行するステップとして真の世界が控えており、キリストのヴィジョンによってこの世界を真に見ることを介して、神の現実に戻ることになります(のちほど、テキストから、キリストのヴィジョンについての一節をご紹介したいと思います)。
この真の世界は依然として幻想ではあるものの、神の子の投影によって、実在の反映に際して、実在の不在という影が生まれた世界ではなく、光が正しく当たり、影ができない天国の反映そのものの世界です。
投影のプロセス
投影のプロセスは、光源の前にスライドやフィルムが置かれ、それによって、色づけられ形づけられた光がスクリーンに投射されるというものです。
エゴ・スライドによって、歪んだ像が映し出されているのがこの世界です。
私たちは、エゴ・スライドを通して投影するので、神のいない世界を見ています。したがって、神は、どこかのありがたい尊いご本尊の中にもいなければ、当然、テーブルの中に神がいるはずもありません。
こうして、神のいない酷薄な世界、無機質な分裂した世界を見ることで、エゴ・スライドはどんどん濃くなるばかりです。
すべてに神を見ることはスライドを外すこと
ここで、あらゆるものの中に神を見るということは、スライドとの関係では、どういう意味を持つか考えてみましょう。
もし、神の子がエゴ・スライドを通すことなく、何の曇りもない光を投じたら、スクリーンに映し出されるのは何でしょうか。それは、神のありのままの姿であるはずです。
テーブルの中に神を見るということは、ものの見方を変えるということです。
物事について、価値判断や評価を加えて色づけすることなく見ることで、エゴ・スライドを外すことになりますが、すべての中に神を見るということは、一切の価値判断や評価を放棄して、純白の光を投射することになります。
テーブルであれ、憎たらしい敵であれ、嫌な思い出の詰まった何かであれ、それらすべての中に無差別に神を見出すなら、そのとき、一切の価値判断は停止していることになります。
このように、ものの見方をシフトすることで、キリストのヴィジョンを得ることを目指しているのです。
新たに知覚するというのは、単に、再び知覚し直すということ
「1. The world as you perceive it cannot have been created by the Father, for the world is not as you see it.
あなたが知覚しているままのこの世界が、父なる神が創造した世界であるはずがありません。というのも、その世界はあなたが見ている通りのものではないからです。
God created only the eternal, and everything you see is perishable.
神は永遠なるものだけを創造したのに、あなたが見るものはひとつ残らず朽ち果ててしまうものです。
Therefore, there must be another world that you do not see.
したがって、あなたには見えていない別の世界があるに違いありません。
The Bible speaks of a new Heaven and a new earth, yet this cannot be literally true, for the eternal are not re-created.
聖書は新しい天と新しい地について述べています。しかし、これは文字どおりの意味での真実ではありえません。なぜなら、永遠であるはずのものが再び創造されるということはないからです。
To perceive anew is merely to perceive again, implying that before, or in the interval between, you were not perceiving at all.
新たに知覚するというのは、単に、再び知覚し直すということで、再び知覚する以前、または、再び知覚するまでの合間、あなたがまったく知覚していなかったということを意味するにすぎません。
What, then, is the world that awaits your perception when you see it?
そうだとすれば、あなたにその世界が見えるようになるとき、あなたに知覚されることを待ち受けている世界とは、どんな世界なのでしょうか。」(テキスト 第十一章 VII. The Condition of Reality 七 現実の条件)
では、レッスンに入りましょう。

Workbook Lesson 29
God is in everything I see.
神は、私の見るあらゆるものの中にいる。
God is in everything I see.
神は、私の見るあらゆるものの中にいる。
1. The idea for today explains why you can see all purpose in everything.
今日の考えは、あなたがすべてのものの中にすべての目的を見ることができる理由です。
It explains why nothing is separate, by itself or in itself.
今日の考えは、他から分離して独立して自己完結しているものが何ひとつない理由です。
And it explains why nothing you see means anything.
そして、この考えは、あなたが見るものが何も意味しない理由です。
In fact, it explains every idea we have used thus far, and all subsequent ones as well.
実のところ、この考えは、私たちがこれまでのレッスンで用いてきた一つひとつの考えの理由であり、そして、同じようにこれからのレッスンの考えの理由でもあります。
Today's idea is the whole basis for vision.
今日の考えは、ヴィジョンのための完全な基盤です。
2. You will probably find this idea very difficult to grasp at this point.
あなたはたぶん、今の段階では、この考えを把握するのをとても難しく感じるでしょう。
You may find it silly, irreverent, senseless, funny and even objectionable.
あなたは今日の考えのことを、馬鹿げていて、不敬で、無意味で、滑稽で、腹立たしいとすら感じるかもしれません。
Certainly God is not in a table, for example, as you see it.
たしかに、たとえば、あなたが見ている通りのテーブルの中に神がいるとはいえないのはその通りです。
Yet we emphasized yesterday that a table shares the purpose of the universe.
しかし、私たちが昨日はっきり確認したように、ひとつのテーブルは宇宙の目的を共有しています。
And what shares the purpose of the universe shares the purpose of its Creator.
だから、宇宙の目的を共有するものは、宇宙の創造主の目的をも共有しているはずです。
3. Try then, today, to begin to learn how to look on all things with love, appreciation and open-mindedness.
そこで、今日は、すべての物事を愛と感謝と開かれた心で見るにはどうすればよいか学びはじめようと努力してください。
You do not see them now.
あなたは今のところ、どんな物事も真に見てはいません。
Would you know what is in them?
あなたはあらゆる物事の中に何があるのか知りたくないでしょうか。
Nothing is as it appears to you.
何事も、あなたに見えている通りのものではないのです。
Its holy purpose stands beyond your little range.
万物の持つ神聖なる目的は、あなたの狭い了見では理解が及ばないものだからです。
When vision has shown you the holiness that lights up the world, you will understand today's idea perfectly.
神聖さが世界を照らし出すさまをヴィジョンがあなたに見せてくれるとき、あなたは今日の考えを完璧に理解するでしょう。
And you will not understand how you could ever have found it difficult.
そのとき、あなたは、なぜ自分がそれまでこの考えを難しく感じていたのか理解できないと思うでしょう。
4. Our six two-minute practice periods for today should follow a now familiar pattern:
今日私たちは、毎回2分間かけて6回の実習時間をとりますが、今ではお馴染みのパターンに従ってこなすとよいでしょう。
Begin with repeating the idea to yourself, and then apply it to randomly chosen subjects about you, naming each one specifically.
今日の考えを自分に繰り返し言い聞かせることからはじめ、それから、考えを自分の周囲からランダムに選び出した対象の一つひとつに具体的に名前をつけながらあてはめてください。
Try to avoid the tendency toward self-directed selection, which may be particularly tempting in connection with today's idea because of its wholly alien nature.
今日の考え方はこれまでとはまったく異なる性質を持っているので、今日の考えに関しては、とくに対象を自分なりに選別したいという誘惑に駆られるでしょうが、自発的に選別しないように努めてください。
Remember that any order you impose is equally alien to reality.
どのような順序をあなたが課そうとも、それは現実とは等しく相容れないものだと覚えておいてください。
5. Your list of subjects should therefore be as free of self-selection as possible.
したがって、考えを適用する対象についてのあなたのリストは、可能なかぎり自発的な選別に縛られないものでなければなりません。
For example, a suitable list might include:
たとえば、適切なリストは次のような内容になります。
God is in this coat hanger.
神は、コート掛けの中にいる。
God is in this magazine.
神は、この雑誌の中にいる。
God is in this finger.
神は、この指の中にいる。
God is in this lamp.
神はこの電気スタンドの中にいる。
God is in that body.
神は、あの身体の中にいる。
God is in that door.
神は、あのドアの中にいる。
God is in that waste basket.
神は、あのゴミ箱の中にいる。
In addition to the assigned practice periods, repeat the idea for today at least once an hour, looking slowly about you as you say the words unhurriedly to yourself.
指示された実習時間に加えて、最低でも1時間に1回は自分の周囲をゆっくり見回して、焦ることなく今日の考えを繰り返し自分に言い聞かせてください。
At least once or twice, you should experience a sense of restfulness as you do this.
少なくとも1回か2回は、この実習をすることで、安らぎの感覚を味わうことになるはずです。


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