T28-2 原因と結果の逆転


芝居を見るという経験には、心を救う効果、つまり治療の効果がある。そういう経験の属する次元を変えない限り、それは人生に必要不可欠なものだ。ところが経験の成立するレベルを混同すると、経験は、人生に危険なもの、人生を破壊するものになる。

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Michael Ende
ミヒャエル・エンデ

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およそ芝居とは、最高の出来でも影にすぎない。ただ、最低のものでもどこか見どころがある。



ウィリアム・シェイクスピア夏の夜の夢





人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。

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福沢諭吉




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今回は、テキスト第二十八章から「原因と結果を逆転させる」という一節をご紹介します。


7.の訳文についての補足説明


7.については原文の意味がわかりにくい箇所があるので、訳文について補足説明をしておく必要があると思います。

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「7. The miracle establishes you dream a dream, and that its content is not true.
 奇跡が明確にするのは、あなたが夢を夢見ていること、そして、その夢の内容は真実ではないことです。

 This is a crucial step in dealing with illusions.
 これは幻想に対処するうえで、決定的に重要な一歩です。

 No one is afraid of them when he perceives he made them up.
 自分が幻想をでっちあげたのだとわかれば、誰も幻想に恐れを抱くことなどありません。

 The fear was held in place because he did not see that he was author of the dream, and not a figure in the dream.
 恐れが幅を利かせていたのは、彼が、自分こそが夢の作者であり、その夢の中の単なる一登場人物ではないとわかっていなかったからです。

 He gives himself the consequences that he dreams he gave his brother.
 自分が作者だと気づいていない夢見る者は、自分が兄弟に与えたと夢見たことの帰結を自分自身に与えることになります。

 And it is but this the dream has put together and has offered him, to show him that his wishes have been done.
 そして、彼の願いが叶えられたことを彼に示そうとして、その夢が寄せ集めて彼に差し出しているものは、彼が兄弟にしたと夢見たものにほかなりません。

 Thus does he fear his own attack, but sees it at another's hands.
 このようにして、彼は実は自分の攻撃を恐れているのですが、彼には、その攻撃が他者の手によってなされているものに見えています。

 As victim, he is suffering from its effects, but not their cause.
 犠牲者として、彼は他者の攻撃という結果のせいで苦しんでいますが、その原因によって苦しんでいるわけではありません。

 He authored not his own attack, and he is innocent of what he caused.
 彼は自分が手を下す攻撃を作ってはいないので、彼は自分の引き起こしたことについて罪はないというわけです。

 The miracle does nothing but to show him that he has done nothing.
 奇跡は、彼は何もしてはいないということを彼に示すだけです。

 What he fears is cause without the consequences that would make it cause.
 彼が恐れているのは、結果を持たない原因です。結果こそが原因を原因たらしめるはずのものです。

 And so it never was.
 したがって、結果を持たない原因は、決して存在したことはないのです。」





「彼が自分の攻撃の作者でなかったので、無罪潔白だ」と、「奇跡が彼は何もしなかったと示す」とのつながりは順接、逆接?

この中の、
"As victim, he is suffering from its effects, but not their cause.
 He authored not his own attack, and he is innocent of what he caused.
 The miracle does nothing but to show him that he has done nothing. "
の意味がわかりにくいと思います。

原文を単純に直訳すると、
「彼は犠牲者として、その結果に苦しんでいるが、その原因には苦しんでいない。
 彼は自分の攻撃の作者ではなかったので、彼は自分が引き起こしたものに関して潔白ということになる。
 奇跡は、ただ彼が何もしなかったと彼に示すだけだ」
という感じになりますが、彼が自分の攻撃の作者でなかったので、無罪潔白だということと、奇跡が彼は何もしなかったと示すということがどういうつながりなのか、今ひとつ判然としないと思います。


ポイント

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ポイントは、①彼が自分の攻撃の作者でないので、潔白だ、ということと、②奇跡は彼が何もしていないことを示すということの意味を順列でつながるものと見るかどうか、つまり、①が正しい前提といえるのか、それとも、批判する前提で挙げている真実ではない事実かどうかです。

①が正しいとすれば、
彼は自分の攻撃の作者でないので、潔白だ、だから、奇跡は彼が何もしていないことを示す
というつながりになります。

これに対して、①が正しくなければ、
彼は自分の攻撃の作者でないので、潔白だと思っている、しかし、奇跡は本当は彼が何もしていないことを示す
というつながりになります。


結論

結論として、①は正しい前提ではありません。
彼は攻撃という夢の作者であるにもかかわらず、攻撃をしているのは自分ではなく他者なのだと自分に信じこませて、自分ではなく他人が攻撃してくるのだから、自分は悪くない、潔白なのだと思いこんでいるだけです。

したがって、上記の①、②は、彼が攻撃の作者でないがゆえに潔白であるから、奇跡は何もしていないと示すというつながりではなく、彼は自分は攻撃の作者でないから潔白だと思いこんでいるが、実は、彼が夢の中での出来事を自分で作り出しているので彼は攻撃の作者であり潔白でないとはいえない、けれども、彼がそのような攻撃を作り出したことは幻想にすぎないので、奇跡は、現実においては、彼は何もしていないということを示すのだという意味になります。

コースでは、コースが主張している地の文なのか、反論する前提で、コースが与(くみ)しないエゴの主張を敷衍(ふえん)する文なのか、一見区別がつかないような文章がちょこちょこと出てきます。

主張と反論の対象なわけですから、反論の対象を主張部分として解釈すると、まったく逆の意味に取り違えてしまう危険があり、翻訳された日本語版だけで読んでいると、まったく正反対の解釈をしてしまうリスクがあります。


意味が完全に逆になるだけに翻訳のみで学ぶ場合には注意が必要

翻訳を素材に勉強する際には、必ず、ここの文章の意味はこれでいいんだろうか、という箇所にぶち当たることがあるはずです。

そういうときは、立ち止まって、はたしてこの訳は原文の意味を伝えきれているだろうかとご自分で原文に当たってみるようにされるとよいと思います。

意味がわからなくても無理矢理覚えこもうという頭から信心してしまうスタンスではなく、自分の中の聖霊と対話する素材として使う道具として読むことが大切だと思います。


The Message of A Course in Miracles A translation of the Text in plain languageでの確認

The Message of A Course in Miracles A translation of the Text in plain languageは、コースを平易な言葉に直した本ですが、英語を母国語とする人が意味をわかりやすく表現し直しているだけに、誤解釈の余地は比較的少ないと思いますので、該当箇所を抜粋してご紹介します。




「If you see yourself as a victim, you suffer from the effects of attack, but not its cause.
もしあなたが自分自身を被害者とみなすなら、あなたは攻撃の結果によって苦しむことになるが、その原因に苦しむのではない。

You do not want to see that you caused the attack, so that you can see yourself innocent of it.
あなたは、自分がその攻撃を引き起こしたとみなすことを望まないので、あなたは攻撃について自分に責任はないとみなすことができる。

But underneath you know you did this to yourself, and your experience of the miracle only shows you that you have nothing real.
それでも、無意識ながらも、あなたは自分を攻撃したのは自分自身だとわかっているので、あなたが体験する奇跡は、ただあなたが何も現実にはなしてなどいないということをあなたに示すだけだ。」


まとめ

彼が自分の攻撃の作者ではないというのは、その人が夢の中で夢の主人公に自己同一化して自分勝手に思いこんでいることです。

実のところは、彼は、自分の夢の作者であり、自分だと思っている主人公に対する他者からの攻撃という夢の出来事の作者でもあるわけなので、主人公に自己同一化した彼が、他人が自分を攻撃しているので自分がしているわけではないのだから自分は潔白だと自分を信じこませようとしているのは欺瞞だということになります。

これに対して、奇跡が示すのは、彼が自己欺瞞でごまかそうとしているように、彼が攻撃と無関係だから潔白だということではなく、自分こそがその攻撃の夢をでっちあげた作者であり、夢の中での攻撃は幻でしかないので、彼は実は攻撃も何もしてなどいないので潔白だということです。


「As victim, he is suffering from its effects, but not their cause.
 犠牲者として、彼は攻撃という結果のせいで苦しんでいますが、その原因によって苦しんでいるわけではありません。」
「その原因」というのは攻撃を引き起こす原因である夢見状態、本当の自分である神の子が夢の主人公が自分だという夢を見ていることです。

「He authored not his own attack, and he is innocent of what he caused.
 彼は自分自身による攻撃を作ってはいないので、彼は自分の引き起こしたことについて罪はないというわけです。」
実は自分が作り出している夢の攻撃について、夢の主人公に自己同一化している彼は、自分が作ったものでないと考えて、それゆえに、実は自分が引き起こした自分という主人公が他者から攻撃されるという夢のエピソードについて、自分は潔白で責任がないと思っている。

しかし、奇跡は、彼が自作自演で他者によって自分が攻撃されるという夢を見ているだけだから、彼は本当は何もしてなどいないということを単に示すだけだ。

「The miracle does nothing but to show him that he has done nothing.
 奇跡は、彼は何もしてはいないということを彼に示すだけです。」




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テキスト第二十八章

II. Reversing Effect and Cause
二 結果と原因を逆転させる



1. Without a cause there can be no effects, and yet without effects there is no cause.
 原因がなければいかなる結果もありえません。反対に、結果が伴わなければいかなる原因も存在しません。

 The cause a cause is made by its effects; the Father is a Father by His Son.
 原因が原因となるのは、その結果によってです。父が親であるのは、彼に子があるがゆえです。

 Effects do not create their cause, but they establish its causation.
 結果は自らの原因を創造するわけではありませんが、結果は因果関係を成り立たせます。

 Thus, the Son gives Fatherhood to his Creator, and receives the gift that he has given Him.
 こうして、子は自らの創造主に父性を与え、そして、自分が創造主に渡したその贈り物を受け取ります。

 It is because he is God's Son that he must also be a father, who creates as God created him.
 子は神の子であるがゆえに、子も必ず、神が自分を創造してくれたように創造する親となります。

 The circle of creation has no end.
 この創造の円環には終わりがありません。

 Its starting and its ending are the same.
 創造の始まりと終わりが同じものだからです。

 But in itself it holds the universe of all creation, without beginning and without an end.
 しかし、その円環そのものの内には創造されたすべてのものを含む宇宙があり、そこには始まりもなければ終わりもありません。

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2. Fatherhood is creation.
 親であることは、創造することです。

 Love must be extended.
 愛は必ず拡張してゆきます。

 Purity is not confined.
 純粋で清らかなものを封じこめておくことはできないからです。

 It is the nature of the innocent to be forever unconfined, without a barrier or limitation.
 潔白なるものの本質は、何の障害や制限もなく、永遠に封じこめられえないことです。

 Thus is purity not of the body.
 したがって、清らかさは身体には属しません。

 Nor can it be found where limitation is.
 同じ理由から、限界があるところに清らかさを見出すこともできません。

 The body can be healed by its effects, which are as limitless as is itself.
 身体は、清らかさが引き起こす結果によって癒されることができます。清らかさの結果は、清らかさそれ自体と同様に無限だからです。

 Yet must all healing come about because the mind is recognized as not within the body, and its innocence is quite apart from it, and where all healing is.
 しかし、あらゆる癒しは、心は身体の中にあるわけではなく、心の清らかさは身体とはまったく無関係であり、心があるのは癒しのありかだけだと認識することから生じます。

 Where, then, is healing?
 それでは、癒しはどこにあるのでしょうか。

 Only where its cause is given its effects.
 それはただ、癒しの原因が癒しという結果を与えられるところにだけあります。

 For sickness is a meaningless attempt to give effects to causelessness, and make it be a cause.
 というのも、病気は、原因となりえないものに結果を付与することによって、それを原因に変えてしまおうとする無意味な試みだからです。



3. Always in sickness does the Son of God attempt to make himself his cause, and not allow himself to be his Father's Son.
 つねに病んだ状態にあるがゆえに、神の子は、自分自身を自分の原因にしようとして、自分が大いなる父の子であることを認めようとしません。

 For this impossible desire, he does not believe that he is Love's Effect, and must be cause because of what he is.
 こんなありえない願望を抱いているせいで、彼は自分が大いなる愛の偉大なる結果であり、彼が原因であるのは、彼が神の子であるがゆえなはずだとは信じません。

 The cause of healing is the only Cause of everything.
 癒しの原因は、すべてのものの唯一の大いなる原因です。

 It has but one effect.
 大いなる原因にはひとつの結果しかありません。

 And in that recognition, causelessness is given no effects and none is seen.
 そして、このことを認識することによって、原因とはならないものには何の結果も与えられず、何の結果も見られなくなります。

 A mind within a body and a world of other bodies, each with separate minds, are your "creations", you the "other" mind, creating with effects unlike yourself.
 身体の中にある心とか、それぞれに個別の心を持つほかの身体たちが存在する世界は、あなたの「創造物」であり、そこでは、あなたは「別の」心となって、自分自身とは相違する結果を創造しています。

 And as their "father," you must be like them.
 そして、それらの「創造物」の「父」であるがゆえに、あなたはそれらと同じものにならざるをえないのです。

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4. Nothing at all has happened but that you have put yourself to sleep, and dreamed a dream in which you were an alien to yourself, and but a part of someone else's dream.
 あなたは自分自身を眠らせて、自分が本来の自分自身とはかけ離れた異質な存在となり、自分がほかの誰かの夢の一部でしかないという夢を夢見ていただけのことで、実のところまったく何も起こってなどいないのです。

 The miracle does not awaken you, but merely shows you who the dreamer is.
 奇跡はあなたを目覚めさせるわけではありません。そうではなくて、奇跡は単にあなたに夢を見ているのが誰なのかを示すだけです。

 It teaches you there is a choice of dreams while you are still asleep, depending on the purpose of your dreaming.
 奇跡はあなたに、あなたが何を目的に夢を見るかによって、あなたがまだ眠ったままだとしても、その間にあなたが見る夢を選択できることを教えてくれます。

 Do you wish for dreams of healing, or for dreams of death?
 あなたが願うのは癒しの夢でしょうか、それとも、死の夢でしょうか。

 A dream is like a memory in that it pictures what you wanted shown to you.
 あなたが見せてほしいと思うものを描き出すという点で、夢は記憶に似ています。



5. An empty storehouse, with an open door, holds all your shreds of memories and dreams.
 扉が開け放たれている空っぽの貯蔵庫に、あなたの記憶や夢のかけらのすべてが収められています。

 Yet if you are the dreamer, you perceive this much at least: that you have caused the dream, and can accept another dream as well.
 しかし、もしあなたが夢を見ている張本人であるなら、少なくとも次のことくらいは十分わかるはずです。すなわち、あなたがその夢を引き起こしたのだから、あなたには別の夢も同じように受け入れることができる、ということです。

 But for this change in content of the dream, it must be realized that it is you who dreamed the dreaming that you do not like.
 しかし、このように夢の内容を変えるには、あなたの気に入らない夢を夢見ていたのは、ほかならぬあなただったのだと理解する必要があります。

 It is but an effect that you have caused, and you would not be cause of this effect.
 そのあなたの気に入らない夢は、あなたが引き起こしたひとつの結果にすぎないのですが、あなたはこの夢という結果の原因でありたいとは思っていませんでした。

 In dreams of murder and attack are you the victim in a dying body slain.
 殺人や攻撃の夢の中では、あなたは殺害されて死にゆく身体の中にいる犠牲者となります。

 But in forgiving dreams is no one asked to be the victim and the sufferer.
 しかし、赦しの夢の中では、誰ひとり、犠牲者や被害者になるように求められることはありません。

 These are the happy dreams the miracle exchanges for your own.
 これらの赦しの夢こそが、あなたが作り出す自前の夢の代わりに奇跡が交換してくれる幸せな夢です。

 It does not ask you make another; only that you see you made the one you would exchange for this.
 奇跡は、新たに別の夢を作り出すようあなたに頼んでいるわけではありません。ただあなたに、この幸せな夢に交換したいと思うような夢を自分が作り出してしまったたのだと理解するように求めているだけです。

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6. This world is causeless, as is every dream that anyone has dreamed within the world.
 この世界の中で誰かが夢見たどんな夢にもまったく何の原因もないのと同様に、この世界にも原因はありません。

 No plans are possible, and no design exists that could be found and understood.
 いかなる予定を立てることも不可能だし、成り行きの見当をつけたり理解できるようないかなる計画も存在しません。

 What else could be expected from a thing that has no cause?
 何の原因も持たないものから、ほかに何を予測できるでしょうか。

 Yet if it has no cause, it has no purpose.
 しかし、もしこの世界に何の原因もないとすれば、世界は何の目的も持たないことになります。

 You may cause a dream, but never will you give it real effects.
 あなたがある夢を引き起こすことはあっても、あなたは決してその夢に現実の結果を与えることはありません。

 For that would change its cause, and it is this you cannot do.
 というのは、夢を現実にすることは夢の原因を変えることであり、これこそあなたにはできないことだからです。

 The dreamer of a dream is not awake, but does not know he sleeps.
 夢を夢見ている者は目覚めてはいませんが、自分が眠っていることもわかっていません。

 He sees illusions of himself as sick or well, depressed or happy, but without a stable cause with guaranteed effects.
 彼には、自分自身が病気であったり健康であったり、または、絶望していたり幸福であったりする幻が見えていますが、その幻想には結果を裏打ちする確固たる原因などありません。



7. The miracle establishes you dream a dream, and that its content is not true.
 奇跡が明確にするのは、あなたが夢を夢見ていること、そして、その夢の内容は真実ではないことです。

 This is a crucial step in dealing with illusions.
 これは幻想に対処するうえで、決定的に重要な一歩です。

 No one is afraid of them when he perceives he made them up.
 自分が幻想をでっちあげたのだとわかれば、誰も幻想に恐れを抱くことなどありません。

 The fear was held in place because he did not see that he was author of the dream, and not a figure in the dream.
 恐れが幅を利かせていたのは、彼が、自分こそが夢の作者であり、その夢の中の単なる一登場人物ではないとわかっていなかったからです。

 He gives himself the consequences that he dreams he gave his brother.
 自分が作者だと気づいていない夢見る者は、自分が兄弟に与えたと夢見たことの帰結を自分自身に与えることになります。

 And it is but this the dream has put together and has offered him, to show him that his wishes have been done.
 そして、彼の願いが叶えられたことを彼に示そうとして、その夢が寄せ集めて彼に差し出しているものは、彼が兄弟にしたと夢見たものにほかなりません。

 Thus does he fear his own attack, but sees it at another's hands.
 このようにして、彼は実は自分の攻撃を恐れているのですが、彼には、その攻撃が他者の手によってなされているものに見えています。

 As victim, he is suffering from its effects, but not their cause.
 犠牲者として、彼は他者の攻撃という結果のせいで苦しんでいますが、その原因によって苦しんでいるわけではありません。

 He authored not his own attack, and he is innocent of what he caused.
 彼は自分が手を下す攻撃を作ってはいないので、彼は自分の引き起こしたことについて罪はないというわけです。

 The miracle does nothing but to show him that he has done nothing.
 奇跡は、彼は何もしてはいないということを彼に示すだけです。

 What he fears is cause without the consequences that would make it cause.
 彼が恐れているのは、結果を持たない原因です。結果こそが原因を原因たらしめるはずのものです。

 And so it never was.
 したがって、結果を持たない原因は、決して存在したことはないのです。

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8. The separation started with the dream the Father was deprived of His Effects, and powerless to keep them since He was no longer their Creator.
 分離は、大いなる父が、自らの大いなる結果たちを奪われ、もはや自らの結果たちの創造主ではなくなってしまったがゆえに、自らの結果たちを引き留めておく力を失ってしまったという夢から始まりました。

 In the dream, the dreamer made himself.
 その夢の中で、夢見る者が自分自身を作り出したのです。

 But what he made has turned against him, taking on the role of its creator, as the dreamer had.
 しかし、夢見る者がそうしたように、彼の作り出したものたちも彼に反旗を翻して、夢の作り主としての役割を奪い取ってしまいました。

 And as he hated his Creator, so the figures in the dream have hated him.
 そして、彼が自分の創造主を憎んだのと同じように、その夢の中の登場人物たちも彼に憎しみを抱いたのです。

 His body is their slave, which they abuse because the motives he has given it have they adopted as their own.
 彼が身体に与えた動機を登場人物たちも自らの動機として採用したので、彼の身体は、登場人物たちから虐げられる奴隷となります。

 And hate it for the vengeance it would offer them.
 そして、彼の身体が自分たちに報復しようとしていると言って、夢の登場人物たちは彼の身体を憎むのです。

 It is their vengeance on the body which appears to prove the dreamer could not be the maker of the dream.
 夢の中の登場人物たちが彼の身体に対して報復することが、その夢見る者がその夢の作り主であるはずがないことの何よりの証拠になるように見えます。

 Effect and cause are first split off, and then reversed, so that effect becomes a cause; the cause, effect.
 まず結果と原因が分裂し、そのあとで、その原因と結果が逆転し、そうして、結果が原因となり、原因が結果となります。



9. This is the separation's final step, with which salvation, which proceeds to go the other way, begins.
 これが分離の最終段階です。そして、分離とは逆の方向に進む救済が始まるのも、ここからです。

 This final step is an effect of what has gone before, appearing as a cause.
 この最終段階は、それに先行するものの結果なのに、それが原因のように見えています。

 The miracle is the first step in giving back to cause the function of causation, not effect.
 奇跡は、原因に対して、結果ではなく、原因として作用する機能を回復させる最初の一歩です。

 For this confusion has produced the dream, and while it lasts will wakening be feared.
 というのも、この原因と結果の混同が夢を生み出してしまい、その夢が続く間は目を覚ますことが恐ろしくなってしまうからです。

 Nor will the call to wakening be heard, because it seems to be the call to fear.
 それに、その間は、目を覚ますようにとの呼びかけに耳を傾けられることもないでしょう。なぜなら、それは恐怖への呼びかけのように思えるからです。

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10. Like every lesson that the Holy Spirit requests you learn, the miracle is clear.
 聖霊があなたに学ぶことを求めてるすべてのレッスンと同じように、奇跡は明快なものです。

 It demonstrates what He would have you learn, and shows you its effects are what you want.
 奇跡は、聖霊があなたに学ばせようとしていることを実証し、奇跡がもたらす結果があなたの望むものだとあなたに示してくれます。

 In His forgiving dreams are the effects of yours undone, and hated enemies perceived as friends with merciful intent.
 聖霊の赦しの夢の中では、あなたの夢の結果は取り消され、憎んでいた敵は慈悲に溢れる意図を持った友として知覚されます。

 Their enmity is seen as causeless now, because they did not make it.
 彼らの敵意は今では原因のないものだとわかります。なぜなら、もともと彼らがそれを作ったわけではなかったからです。

 And you can accept the role of maker of their hate, because you see that it has no effects.
 そして、あなたは自分が彼らの憎しみを作り出す役割を担っていたのだと認めることができます。なぜなら、彼らの憎しみが何の結果も生み出していないことがあなたにもわかるからです。

 Now are you freed from this much of the dream; the world is neutral, and the bodies that still seem to move about as separate things need not be feared.
 いまやあなたは次のことだけは夢から解放されています。それは、この世界は中立の場であるということ、そして、分離した物体として動き回っているように見える身体を恐れる必要はないことです。

 And so they are not sick.
 したがって、身体は病気ではなくなります。



11. The miracle returns the cause of fear to you who made it.
 奇跡は、恐れの原因を、恐れを作り出した当人であるあなたに戻してくれます。

 But it also shows that, having no effects, it is not cause, because the function of causation is to have effects.
 しかし、奇跡はそれだけでなく、何の結果も持たないがゆえに、恐れの原因は実は原因ではないことも示してくれます。なぜなら、原因の役目は結果を持つことだからです。

 And where effects are gone, there is no cause.
 だから、結果がなくなったところには、原因は存在しません。

 Thus is the body healed by miracles because they show the mind made sickness, and employed the body to be victim, or effect, of what it made.
 こうして、身体は奇跡によって癒されます。なぜなら、奇跡は、心が病気を作り出し、その心が作ったものの犠牲を被る結果となるべく身体を用いていたことを示すからです。

 Yet half the lesson will not teach the whole.
 しかし、レッスンの半分だけでは、全体を教えたことになりません。

 The miracle is useless if you learn but that the body can be healed, for this is not the lesson it was sent to teach.
 もしあなたが単に身体が癒されうるということだけを学ぶならば、奇跡は役に立ちません。というのは、奇跡はそんなことを教えるために遣わされたわけではないからです。

 The lesson is the mind was sick that thought the body could be sick; projecting out its guilt caused nothing, and had no effects.
 奇跡が教えようとしているのは、身体が病気になりうると思いこんでいた心そのものが病んでいたということ、そして、その心が罪悪感を投影したことによっては何も引き起こされてはおらず、何の結果ももたらされてはいないということです。

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12. This world is full of miracles.
 この世界は、奇跡に満ち溢れています。

 They stand in shining silence next to every dream of pain and suffering, of sin and guilt.
 奇跡は、苦痛と苦悩、罪と罪悪感の夢のすべての隣りで、静かに輝いています。

 They are the dream's alternative, the choice to be the dreamer, rather than deny the active role in making up the dream.
 奇跡とは、そんな夢に代わる別の選択肢です。奇跡は、夢を作り出すうえで自分が積極的な役割を果たしていることを否認するのではなく、夢見る者であることを選ぶことです。

 They are the glad effects of taking back the consequence of sickness to its cause.
 奇跡は、病気という結果をその原因に戻すことに伴って生じる喜ばしい結果です。

 The body is released because the mind acknowledges "this is not done to me, but I am doing this."
 心が「これは私に対してなされたのではなく、私がこれをしているのだ」と承認するので、身体は解放されます。

 And thus the mind is free to make another choice instead.
 こうして、心は何の妨げもなく、代わりに別の選択をすることができるようになります。

 Beginning here, salvation will proceed to change the course of every step in the descent to separation, until all the steps have been retraced, the ladder gone, and all the dreaming of the world undone.
 ここから始まって、救済は、分離に向かって下降してきたすべての足取りの向きを逆に変えて進み、ついには、すべての歩みをあと戻りして、その階段は消え去り、世界という夢のすべてが取り消されるのです。


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