S2-1 自分自身を赦す


鏡を見ないかぎり、人は一生自分の目を見ることはできない。つまりそれは鏡を見なければ自分自身の本当の姿は一切わからないという、この世のシステムを表しているんだ。



ROSSCO(「すべてを幸せにする鏡の奇跡 この世はミラーワールド」29ページ)



ゆるしとは加害者が悔恨の情を示す、示さないにかかわらず、自ずとなされるものなのです。実際もし、あなたが「彼らをゆるしている」と言ったならそれは、かえって逆効果です――相手は自分があなたを傷つけたことさえ気づいていないかもしれないのですから。そんなものは単なるごまかしにすぎず、相手は恨みのような反発心を生み出すことにもなりかねません。
「ゆるし」が相手に左右される状態になると、すべてが相手である加害者次第になり、被害者である自分の意識も悪化することになります。そして、「あなたさえいなければ私はゆるすことができたのに!」あるいは「あなたが謝らないから、私はいつまでもこの苦しみから解放されることができない」といった結果が生まれます。では、加害者がもしも死んでしまったら? ゆるしは永遠に成り立たなくなるのでしょうか? いいえ。そんなことはありません。
ゆるしと和解――このふたつを混ぜこぜにすると、混乱のもととなります。ゆるしは一方が相手をゆるすことで成り立ちますが、和解にはある程度の相互関係が必要だからです。被害者と加害者双方の意図がなければ和解が成立しない。つまり、何らかの謝罪、もしくは改悛の情が示されることによって被害者が納得し、怒りや復讐心を捨てるのです。どちか一方、またはお互いが傷ついたことを認識し合い、その傷を癒し、関係を修復したいと望む――それが和解です。これにはある種の関係修復、または補償が必要となるのです。
・・・
つまり従来の「自己のゆるし」は、通常のゆるしというより和解の概念と共通する部分が多いのです。究極的には自己のゆるしは真の和解がなくても成り立つのです。



Colin C. Tipping, Radical Self-Forgiveness
コリン・C.ティッピング(「自分をゆるすということ」27ページ)

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The ego is a master illusionist, and one of the ways it diverts your attention, from the moment you’re born, is by giving you – and this calls for another drum roll, please – problems.
エゴは熟練した奇術師なのだ。そして、エゴがあなたが生まれた瞬間からあなたの注意を逸らすために用いてきた方法のひとつは…、ここで改めてドラムロールが鳴る必要があるわけだが…、あなたにさまざまな問題を与えるという方法なのだ。



Gary R. Renard
ゲイリー・R.レナード

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It is in pardoning that we are pardoned.
赦すことによってこそ、私たちは赦されるのです。



Francis of Assisi
アッシジの聖フランチェスコ



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他者を赦さなければならないわけは?


4. 、5.では、他者の赦しと私たちの赦しの関係について仕組みが解明されます。

私たちは、邪悪なのはいつでも他人であり、自分は他者の罪によって傷つけられて危害を被る被害者であるように思います。

しかし、このように、私たちは自分ではなく他者の中に罪を見ることを望んでいるけれど、私たちが他者に見る罪は自分の罪の投影なので、他者を赦すのは不可能だというのが真実であることが語られます。

つまり、許すべきは自分の罪であり、他者を赦すことは錯覚であると。

それでもなお、他者を赦さなければならない。

すなわち、他者を赦すことが錯覚で幻想であるとしても、ありもしない自分の罪を自分から放り出して他者に投影しているがゆえに、他者を赦すことを通してしか自分自身を赦せないという仕組みなので、他者を赦すことは、すべての錯覚の中でも、世界で唯一抱くべき幻想であり、幸せな夢であるということです。

私たちは他者に自分の罪を着せて彼を有罪と呼んできたので、いまや私たちには、彼の中にしか自らの潔白さを見出せないので、私たちが自分自身を赦すことができるのは、ただほかの誰かの中でだけだということです。






他者に罪を着せたままでは滅びに至る許ししかできず他者と自分を一緒に幽閉する状態から脱することができない

そうだというのに、もし私たちが他者の罪の被害者であるとしたら、他者がすることが私たちの運命を決し、私たちの感情や絶望と希望、惨めさや喜びを決めることになるというのですから、私たちは他者全員の奴隷だということになります。

逆に言えば、他者が私たちに自由を与えてくれないかぎり、私たちはまったく自由になれないことになりますが、その他者はといえば、邪悪であるがゆえに、自由を与えようにも、自らの持ち合わせている邪悪さしか与えようがないということになります。

そこで、他者を邪悪な罪深い存在とみなしたまま滅びに至る許しを行うのではなく、キリストが見るように世界にいかなる邪悪さも見ることなく、赦しを真に与えることが私たちが自由になる唯一の希望の道だということです。



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2.- I. Forgiveness of Yourself
 自分自身を赦す



1. No gift of Heaven has been more misunderstood than has forgiveness.
 天国からの贈り物の中でも、赦しほど誤解されてきたものはほかにありません。

 It has, in fact, become a scourge; a curse where it was meant to bless, a cruel mockery of grace, a parody upon the holy peace of God.
 それどころか、赦しは、赦しが本来祝福となるはずであったところで呪いとなり、神の恵みの無慈悲なまがい物となり、神聖な神の平安のお粗末な模倣である祟りに成り果てています。

 Yet those who have not yet chosen to begin the steps of prayer cannot but use it thus.
 しかし、祈りの階梯を昇り始めることをまだ選択していない者たちには、赦しをこのように用いることしかできません。

 Forgiveness' kindness is obscure at first, because salvation is not understood, nor truly sought for.
 初めのうちは、赦しの優しさをよく理解することはできません。なぜなら、救済は理解されておらず、真に探し求められてもいないからです。

 What was meant to heal is used to hurt because forgiveness is not wanted.
 赦しが望まれていないために、癒すはずであったものが、傷つけるために用いられています。

 Guilt becomes salvation, and the remedy appears to be a terrible alternative to life.
 罪悪感を抱くことが救いとなり、治療を施すことは生命にとってひどく間違った選択であるように見えます。



2. Forgiveness-to-destroy will therefore suit the purpose of the world far better than its true objective, and the honest means by which this goal is reached.
 したがって、滅びに至る許しのほうが、赦しの真の目的よりもはるかによく世界の目的に沿うし、この世界の目標に到達するうえでは適切な手段となります。

 Forgiveness-to-destroy will overlook no sin, no crime, no guilt that it can seek and find and "love."
 滅びに至る許しは、いかなる罪も悪事も罪悪感も見逃しません。滅びに至る許しが探し求めて見出して「愛」することができるのは罪や悪事や罪悪感だからです。

 Dear to its heart is error, and mistakes loom large and grow and swell within its sight.
 許す者が心に大切に抱くのは誤りであり、その視界の中には、間違いがぬっと大きな姿を現して、増大して膨れあがります。

 It carefully picks out all evil things, and overlooks the loving as a plague; a hateful thing of danger and of death.
 滅ぼす許しは、注意深くすべての邪悪な物事を選り抜き、愛に満ちたものを危険と死をもたらす憎むべき悪疫とみなして見て見ぬふりをして目を背けます。

 Forgiveness-to-destroy is death, and this it sees in all it looks upon and hates.
 滅ぼす許しは死であり、この許しをなす者は自らが目にするすべてに死を見てそれを憎みます。

 God's mercy has become a twisted knife that would destroy the holy Son He loves.
 神の慈悲は、神の愛する聖なる子を滅ぼそうとする捻れたナイフとなってしまったのです。



3. Would you forgive yourself for doing this?
 あなたは、このような許しをなしている状態から自分を解放したくはないでしょうか。

 Then learn that God has given you the means by which you can return to Him in peace.
 そうしたいなら、あなたが平安のうちに神に戻れるように神があなたに与えてくれた手段を学びなさい。

 Do not see error.
 誤りを見てはなりません。

 Do not make it real.
 誤りを現実にしてはなりません。

 Select the loving and forgive the sin by choosing in its place the face of Christ.
 愛に満ちたものを選び、罪の代わりにキリストの顔を選択することによって、罪を赦してください。

 How otherwise can prayer return to God?
 こうする以外にどうやって、祈りを神の下に戻すことができるでしょうか。

 He loves His Son.
 神はわが子を愛しています。

 Can you remember Him and hate what He created?
 神が創造したものを憎みながら、神を思い出せるはずがありません。

 You will hate his Father if you hate the Son He loves.
 もしあなたが神の愛する子を憎むなら、あなたは子の父を憎むようになります。

 For as you see the Son you see yourself, and as you see yourself is God to you.
 というのも、あなたは子を見る通りに自分自身を見るのであり、あなたが自分自身を見る通りにあなたは神を見ることになるからです。



4. As prayer is always for yourself, so is forgiveness always given you.
 祈りがつねにあなた自身のためのものであるのと同じように、赦しもつねにあなたに与えられています。

 It is impossible to forgive another, for it is only your sins you see in him.
 他者を赦すのは不可能です。というのも、あなたが他者のうちに見るのはただあなたの罪だけだからです。

 You want to see them there, and not in you.
 あなたは自分の中ではなく、他者の中に罪を見たいと望んでいます。

 That is why forgiveness of another is an illusion.
 これが、他者を赦すことが錯覚である理由です。

 Yet it is the only happy dream in all the world; the only one that does not lead to death.
 それでも、他者を赦すことは、全世界の中でも唯一の幸せな夢であり、死に導くことのない唯一の夢です。

 Only in someone else can you forgive yourself, for you have called him guilty of your sins, and in him must your innocence now be found.
 あなたが自分自身を赦すことができるのは、ただ自分以外のほかの誰かの中でだけです。というのも、あなたは他者に自分の罪を着せて彼を有罪と呼んできたので、あなたの潔白さはいまや、彼の中にしか見出せないからです。

 Who but the sinful need to be forgiven?
 赦される必要があるのは、罪深い者だけです。

 And do not ever think you can see sin in anyone except yourself.
 だから、自分自身以外の誰かの中に自分は罪を見ることができるなどとゆめゆめ思わないことです。



5. This is the great deception of the world, and you the great deceiver of yourself.
 これこそが世界で最も見抜きにくい欺瞞であり、あなたは自分自身を巧妙に欺く老練な詐欺師なのです。

 It always seems to be another who is evil, and in his sin you are the injured one.
 邪悪なのはいつでも他人であり、彼の罪によってあなたは傷つけられる被害者であるように思えます。

 How could freedom be possible if this were so?
 もしこれがその通りであったとしたら、どうして自由になれるでしょうか。

 You would be slave to everyone, for what he does entails your fate, your feelings, your despair or hope, your misery or joy.
 他者がすることがあなたの運命を決し、あなたの感情やあなたの絶望と希望、あなたの惨めさや喜びを決めることになるというのですから、あなたは他者全員の奴隷だということになるはずです。

 You have no freedom unless he gives it to you.
 他者があなたに自由を与えてくれないかぎり、あなたはまったく自由になれないことになります。

 And being evil, he can only give of what he is.
 けれど、邪悪であるがゆえに、自由を与えようにも他者は自らの持ち合わせているものしか与えようがないことになります。

 You cannot see his sins and not your own.
 あなたは彼の罪を見ながら、自分の罪を見ずにいることはできません。

 But you can free him and yourself as well.
 しかし、あなたは彼を自由にすることで、自分自身も自由にできるのです。



6. Forgiveness, truly given, is the way in which your only hope of freedom lies.
 赦しを真に与えることが、あなたが自由になる唯一の希望を見出せる道です。

 Others will make mistakes and so will you, as long as this illusion of a world appears to be your home.
 この世界という幻想があなたの故郷であるように見えている間は、他者は間違いを犯すだろうし、あなたも同様に間違いを犯すでしょう。

 Yet God Himself has given all His Sons a remedy for all illusions that they think they see.
 しかし、すべての神の子供たちに神自身が、彼らが自分に見えていると思いこんでいる幻覚を癒す治療法を与えてくれています。

 Christ's vision does not use your eyes, but you can look through His and learn to see like Him.
 キリストのヴィジョンがあなたの肉眼を用いることはありません。それでも、あなたはキリストの目を通して見ることができるし、キリストと同じように見ることを学ぶことができます。

 Mistakes are tiny shadows, quickly gone, that for an instant only seem to hide the face of Christ, which still remains unchanged behind them all.
 間違いは、すぐに去ってしまうちっぽけな影でしかなく、一瞬の間キリストの顔を隠したように見えただけで、キリストの顔は今なおそれらの影の向こう側で変わらないままです。

 His constancy remains in tranquil silence and in perfect peace.
 穏やかな静けさと完璧な平安のうちに、キリストは不変のまま留まっています。

 He does not know of shadows.
 キリストは、影のことなど知りもしません。

 His the eyes that look past error to the Christ in you.
 キリストの目は、誤りを通り越してあなたの内なるキリストを見ているからです。



7. Ask, then, His help, and ask Him how to learn forgiveness as His vision lets it be.
 だから、キリストに助けを求めて、キリストのヴィジョンが赦す通りの赦しをどのように学べばよいか、キリストに尋ねなさい。

 You are in need of what He gives, and your salvation rests on learning this of Him.
 あなたが必要としているのは、キリストが与えてくれるものです。そして、あなたの救いは、キリストからこれを学ぶことにかかっています。

 Prayer cannot be released to Heaven while forgiveness-to-destroy remains with you.
 滅びに至る許しがあなたの許に留まるかぎり、祈りは天国へと解放されることができません。

 God's mercy would remove this withering and poisoned thinking from your holy mind.
 神の慈悲があなたの聖なる心から、この荒廃して毒された考え方を取り除いてくれるでしょう。

 Christ has forgiven you, and in His sight the world becomes as holy as Himself.
 キリストはすでにあなたを赦しているので、キリストの視界には、世界は彼自身と同じくらい神聖なものとなります。

 Who sees no evil in it sees like Him.
 世界にいかなる邪悪さをも見ない者は、キリストと同じように見ているのです。

 For what He has forgiven has not sinned, and guilt can be no more.
 というのは、キリストが赦したものは罪を犯したことなどないので、罪悪感はもはや存在しえないからです。

 Salvation's plan is made complete, and sanity has come.
 救いの計画が完了したので、正気が訪れたのです。



8. Forgiveness is the call to sanity, for who but the insane would look on sin when he could see the face of Christ instead?
 赦しは正気を呼び起こします。というのも、自分がキリストの顔を見ることができるというのに、そこに罪を見ようとするのは、狂っている者だけだからです。

 This is the choice you make; the simplest one, and yet the only one that you can make.
 キリストの顔を見るか罪を見るかは、あなたの下す決断です。それは最も簡単な決断ですが、あなたに下せる唯一の決断です。

 God calls on you to save His Son from death by offering Christ's Love to him.
 神は、キリストの大いなる愛を神の子に差し延べることによって、死から神の子を救うようにとあなたに求めています。

 This is your need, and God holds out this gift to you.
 これがあなたに必要なことです。そして、神はこの贈り物をあなたに差し出してくれています。

 As He would give, so must you give as well.
 神が与えようとする通りに、あなたも与えなければなりません。

 And thus is prayer restored to formlessness, beyond all limits into timelessness, with nothing of the past to hold it back from reuniting with the ceaseless song that all creation sings unto its God.
 こうして、祈りは形のない状態へと戻され、あらゆる制限を超えて、時間のない永遠の中へと戻ります。その際には、すべての創造物が自らの神に捧げて歌う絶えることのない歌の中へと祈りが帰還するのを引きとどめるようなものは、過去には何もありません。



9. But to achieve this end you first must learn, before you reach where learning cannot go.
 しかし、この目的を達成するには、あなたはまず、学習によってはそれ以上先に進めないところに自分が到達するまで、学ばなければなりません。

 Forgiveness is the key, but who can use a key when he has lost the door for which the key was made, and where alone it fits?
 赦しこそがその鍵です。しかし、その鍵が作られた目的である、その鍵だけがぴったりと合うドアを見失っていたとしたら、その鍵を使うことは誰にもできません。

 Therefore we make distinctions, so that prayer can be released from darkness into light.
 したがって、私たちは、祈りが闇から光の中へと解放されうるように区別をすることにします。

 Forgiveness' role must be reversed, and cleansed from evil usages and hateful goals.
 赦しの役目を逆転させて、邪悪な使い方と憎しみに満ちた目標を洗い清めなければなりません。

 Forgiveness-to-destroy must be unveiled in all its treachery, and then let go forever and forever.
 滅びに至る許しは、その欺瞞のからくりの全容を明らかにされて、そのうえで、永遠にずっと消え去らせなければなりません。

 There can be no trace of it remaining, if the plan that God established for returning be achieved at last, and learning be complete.
 もし帰還のために神が立てた計画がついに達成され、学びが完結したなら、滅びに至る許しは跡形もなく消えうせます。



10. This is the world of opposites.
 この世界は、対立によって成り立つ世界です。

 And you must choose between them every instant while this world retains reality for you.
 だから、この世界があなたにとって現実味を保ち続けるかぎり、あなたはどんな瞬間も、対立する物事の間での選択をしなければなりません。

 Yet you must learn alternatives for choice, or you will not be able to attain your freedom.
 しかし、あなたは選ぶことのできる選択肢を学ばなければなりません。そうしなければ、あなたは自らの自由を獲得することができないでしょう。

 Let it then be clear to you exactly what forgiveness means to you, and learn what it should be to set you free.
 そこで、あなたにとって赦しが正確に何を意味するのか明白にさせて、あなたを解放するためには赦しがどのようなものであるべきか学んでください。

 The level of your prayer depends on this, for here it waits its freedom to ascend above the world of chaos into peace.
 祈りの段階をあなたがどこまで昇るかは、この学びにかかっています。というのも、ここで祈りは、混沌とした世界を超えて平安にまで上昇できるよう解放されるのを待っているからです。





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