T24-7 出会いの場


When one's expectations are reduced to zero, one really appreciates everything one does have.
ある人が抱く期待値が「ゼロ」にまで下がれば、その人は本当に自分が現に持っているすべてのものに感謝の念を抱くはずだ。

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Stephen William Hawking
スティーヴン・ホーキング



Jesus and Salome
イエスとサロメ


Jesus said, "Two will recline on a couch; one will die, one will live."
イエスは言われた。「ふたりが寝椅子で休む。ひとりは死に、もうひとりは生きるであろう。」

Salome said, "Who are you mister? You have climbed onto my couch and eaten from my table as if you are from someone."
サロメは言った。「主よ、あなたはどなたなのですか。あなたは私の寝椅子でお休みになり私のテーブルでお食べになったというのに、まるでご自分を別の方でもあるかのようにおっしゃるとは。」

Jesus said to her, "I am the one who comes from what is whole. I was granted from the things of my Father."
イエスは彼女に言われた。「私は全一なる神の下から来た一なるものだ。私は、私の父である神から神に属する万物を授かったのだ。」

"I am your disciple."
「私はあなたの弟子でございます」

"For this reason I say, if one is whole, one will be filled with light, but if one is divided, one will be filled with darkness."
「この道理ゆえに、私は言う。もしその者がすべてとひとつになるなら、その者は光に満たされるであろう。しかし、もしその者がすべてと別々に分離するなら、その者は暗闇に満たされるであろう。」

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The Gospel of Thomas
イエス・キリスト(トマスによる福音書第61節)

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The Clod and the Pebble
土くれと石ころ


"Love seeketh not itself to please,
「愛は自分自身を楽しませようとはしない
  
Nor for itself hath any care,
愛は自分自身を気遣おうともせずに
  
But for another gives its ease,
ただ他の者のために自らの安らぎを捧げて
  
And builds a Heaven in Hell's despair."
地獄の絶望の中に天国を建てようとする」


So sung a little Clod of Clay
ちっぽけな土くれはそう歌った
  
Trodden with the cattle's feet,
牛たちの足に踏みつけられながら
  
But a Pebble of the brook
これに対して、小川を流れる小石は
  
Warbled out these metres meet:
同じ調子で韻を踏んで、こうささやいた


"Love seeketh only self to please,
「愛はただ自分自身だけを楽しませようとする
  
To bind another to its delight,
愛は自分の快楽のために他者を束縛し
  
Joys in another's loss of ease,
他者が安らぎを失うことに喜びを見出して
  
And builds a Hell in Heaven's despite."
たとえ天国でもお構いなしに地獄を作ろうとする」



WILLIAM BLAKE
ウィリアム・ブレイク



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今回はテキスト第二十四章から「出会いの場」という一節をご紹介します。


特別性に捧げていた愛を兄弟に

特別性は私たちから寵愛を受けていますが、特別性は私たちの寵愛を受けるに値しないばかりか、そのせいで、私たちの目は眩み、兄弟が敵に見えて、救い主を攻撃する狂気に陥っています。

そこで、本来愛を捧げるべき相手に愛を注ぐことが必要です。

2.「The holiness in you belongs to him.
 あなたの内なる神聖さは、その兄弟に属するものです。

 And by your seeing it in him, returns to you.
 そして、あなたがその神聖さを彼の内に見ることで、神聖さがあなたに戻ってきます。

 All of the tribute you have given specialness belongs to him, and thus returns to you.
 あなたが特別性に捧げてきたすべての称賛は兄弟にこそふさわしいものなので、彼の中に神聖さを見ることによって、あなたが特別性に捧げていた称賛はあなたの許に戻ってきます。」


神の子と人の子

本節のタイトルは「出会いの場」ですが、誰と誰の出会いかというと、神の子と人の子という「ふたりの子」たちの出会いです。


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「11. And thus are two sons made, and both appear to walk this earth without a meeting place and no encounter.
 こうして、ふたりの子が作り出されたのです。そして、両者は、出合いの場もなく、決して出会うこともないままに、この地上を歩んでいるように見えます。

 One do you perceive outside yourself, your own beloved son.
 あなたが自分自身の外側に知覚しているひとりは、あなたの自作の愛し子です。

 The other rests within, his Father's Son, within your brother as he is in you.
 あなたの内側で安らいでいるもうひとりは、大いなる父の子であり、彼はあなたの中にいるように、あなたの兄弟の中にもいます。

 Their difference does not lie in how they look, nor where they go, nor even what they do.
 そのふたりは、彼らがどのように見えるか、彼らがどこに行くのかという点で異なることはないし、彼らが何をするのかということにすら両者の違いは見出せません。

 They have a different purpose.
 しかし、ふたりには異なる目的があります。

 It is this that joins them to their like, and separates each from all aspects with a different purpose.
 この異なる目的が、ふたりを自分に似た者たちと結びつけ、お互いを、異なる目的を持ったあらゆる側面から引き離します。

 The Son of God retains his Father's Will.
 神の子は、父の大いなる意志を保っています。

 The son of man perceives an alien will and wishes it were so.
 人の子は、神の意志とは相容れない異質な意志を知覚し、自らが神と異なる意志を抱くことを望みます。」

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神の子と人の子の関係性

神の子と人の子の関係性は、テレビの前の子供と画面の中のマリオのようなものです。

T13-2 罪のない神の子が参考になると思います。


地上にあるすべての物事の意義を見極める基準

「6. The test of everything on earth is simply this; "What is it for?"
 この地上にあるすべてのものの意義を見極めるテストはこれです。それは単純に『これは何のためのものだろうか』と問うことです。

 The answer makes it what it is for you.
 その答えが、あなたにとってそれが何であるかを決めることになります。」

T14-11 真理テストが参考になると思います。


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土くれと石ころ

冒頭のブレイクの詩、「土くれと石ころ」は、愛と自己というテーマに関して、無私の愛を語る土くれと利己の愛を語る石ころの両極の見解を謳っています。

利己的な石ころの愛がエゴまみれなのは明白ですが、天邪鬼な管理人としては、土くれの無私の愛がただちに聖霊の大いなる愛と言えるかは微妙に感じてしまいます。

ブレイクは第三の見解を提示せずに詩を完結していますが、土くれの愛をよしとするのであれば、先に石ころの愛を提示して、後ろに土くれの愛を示したはずで、無私の愛という一見だれもが尊ぶ見解を先出ししてそれに対するアンチテーゼとしての利己性で締めくくって意図的に後味を悪くしていることには意味があるように思います。

土くれの見解は、天国を建てようという崇高な理念を掲げて、自分よりも他者を優先して自己犠牲を払う尊い姿勢ではありますが、自他分離を前提に、しかも、犠牲にする自己を他者の自己よりも虐げて顧みず、自己犠牲を払ってまで他者を救済する気高い自分こそが救われるにふさわしいのだという、地に足のつかない、ひねくれたエゴイズムというべきではないでしょうか(T9-5 エゴによる癒しが参考になると思います)。

聖霊からすれば、個としての人間はみな、幻想ではあれ、一なる神の子が等しく宿るアバターとして愛に満たされるべき存在のはずです。

この真理を自覚した者にとっては、神の子という本当の自己から見れば、他者と同じくらい自分自身も大切なアバターとして位置づけることになります(そうでなければ、自分というアバターに自己同一化したままエゴ本位で発想していることになるはずです。)。

そうなると、他者と同じように自分自身も大切にして愛し、器に注がれた愛がいっぱいになって溢れ出すのをほかの器に注ぐようにして、お互いを愛で満たしてほしいという発想になるように思います。

私たちも、無私の博愛主義者になって自分をすり減らしていたのでは、いつまで経っても地獄に天国を建国できず、最後には神を呪うか、きっと死後に自分だけは他者を差し置いて天国に行けるはずだと狂信することになるでしょう。

私を無くさずに自分自身や周囲の大切な人たちを愛で満たし、その人の喜びが私の喜びと思える大切な人たちの輪を徐々に広げてゆくなら、地獄に天国を建国する必要などなく、かつて地獄だと思い込んでいた場所が実は天国だったのだと気づくことができるようになるのではないでしょうか。


エリザベス・キューブラー・ロスさんの言葉です。




The ultimate lesson all of us have to learn is unconditional love, which includes not only others but ourselves as well.
私たち誰もが学ばなければならない究極のレッスンは、無条件の愛であり、無条件に愛する対象には、他者にだけでなく、自分自身も含まれます。


Elisabeth Kubler-Ross.
エリザベス・キューブラー・ロス






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テキスト第二十四章

VII. The Meeting Place
七 出合いの場



1. How bitterly does everyone tied to this world defend the specialness he wants to be the truth!
 この世界に束縛されている者は誰もみな、自分が特別であることが本当のことであってほしいと欲し、なんと痛ましくも特別さを守ろうとすることでしょうか。

 His wish is law to him, and he obeys.
 彼の願望が彼にとっての法となり、彼はその法に従います。

 Nothing his specialness demands does he withhold.
 その人は、自らの特別であろうとする思いが要求することであれば、どんなことにでも応えようとします。

 Nothing it needs does he deny to what he loves.
 彼は、自分が愛する特別性が必要とするものであれば、何ひとつ拒もうとはしません。

 And while it calls to him he hears no other Voice.
 だから、特別性が彼に呼びかけているかぎりは、彼にはそれとは別の大いなる声がまったく耳に入りません。

 No effort is too great, no cost too much, no price too dear to save his specialness from the least slight, the tiniest attack, the whispered doubt, the hint of threat, or anything but deepest reverence.
 自分がほんのわずかに軽んじられたり、ごく些細な攻撃を受けたり、自分の陰口を叩かれたことを疑ったり、脅迫的な気配をかすかに感じたりというような、最大限の敬意を払われない扱いから自分の特別さを守るためであれば、どんな苦労も大したものではないし、どんな損失も大きくはなく、どんな代償も高くはありません。

 This is your son, beloved of you as you are to your Father.
 この特別性はあなたの子として、あなたが大いなる父にとって最愛の存在であるのと同じように、あなたからの寵愛を受けています。

 Yet it stands in place of your creations, who are son to you, that you might share the Fatherhood of God, not snatch it from Him.
 しかし、この特別性は、あなたの創造物たちの座を奪ってそこに居座ってしまっています。実は、このあなたの創造物たちこそが、あなたが神から父性を奪い取るのではなく、神の父性を分かち合えるようにさせてくれる、あなたにとっての本来の子なのです。

 What is this son that you have made to be your strength?
 そうだとすれば、あなたが自分の力になるように仕立てあげたこの特別性という子はいったい何なのでしょうか。

 What is this child of earth on whom such love is lavished?
 あなたからの愛を惜しみなく注がれているこの地の落とし子は、いったい何なのでしょう。

 What is this parody of God's creation that takes the place of yours?
 あなたの創造物の座を奪うこの神の創造物を模した紛い物はいったい何なのでしょう。

 And where are they, now that the host of God has found another son whom he prefers to them?
 神を宿すあなたが本当のわが子である真の創造物たちよりもお気に入りの別の子を見つけてしまった今、あなたの真の創造物たちは、いったいどこに行ってしまったのでしょうか。



2. The memory of God shines not alone.
 神の記憶は単独で輝くことはありません。

 What is within your brother still contains all of creation, everything created and creating, born and unborn as yet, still in the future or apparently gone by.
 あなたの兄弟の中にあるものは今なお、創造のすべてを含んでいます。創造されたものや創造しているもの、生まれたものやまだ生まれていないもの、まだ先のことやもう過ぎ去ったように見えることの一切が含まれています。

 What is in him is changeless, and your changelessness is recognized in its acknowledgment.
 あなたの兄弟の中にあるものは変化することはないし、それを承認することによって、あなた自身の不変性に気づくことになります。

 The holiness in you belongs to him.
 あなたの内なる神聖さは、その兄弟に属するものです。

 And by your seeing it in him, returns to you.
 だから、あなたがその神聖さを彼の内に見ることで、神聖さがあなたに戻ってきます。

 All of the tribute you have given specialness belongs to him, and thus returns to you.
 あなたが特別性に与えていたすべての捧げものは兄弟にこそふさわしいものなので、彼の中に神聖さを見ることによって、あなたが特別性に渡してしまっていたすべてのものがあなたの許に戻ってきます。

 All of the love and care, the strong protection, the thought by day and night, the deep concern, the powerful conviction this is you, belong to him.
 あなたが愛情をこめて気にかけたり、力強く守ったり、昼も夜も思い続けて心の底から心配したことや、これこそが自分だと力強く確信したことなど、それらのすべてがその兄弟のものなのです。

 Nothing you gave to specialness but is his due.
 あなたが特別性に与えてきたものはことごとく、兄弟にこそふさわしいものです。

 And nothing due him is not due to you.
 そして、兄弟にふさわしいもので、あなたにふさわしくないものは何ひとつありません。

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3. How can you know your worth while specialness claims you instead?
 あなたの関心が本当の自分の代わりに特別性に奪われているかぎり、どうしてあなたに自分の真価がわかるでしょうか。

 How can you fail to know it in his holiness?
 自分の兄弟の神聖さの中にであれば、あなたはそこにある自分の真価を知り損ねることはありえません。

 Seek not to make your specialness the truth, for if it were you would be lost indeed.
 自分が特別であることを真理に仕立て上げようとしてはなりません。というのは、もしあなたが本当に特別であるとすれば、あなたは本当に自分を見失ってしまうことになるからです。

 Be thankful, rather, it is given you to see his holiness because it is the truth.
 むしろ、兄弟が神聖であることがまさに真理であるという理由によって、それを見るようにと兄弟の神聖さがあなたに授けられていることに感謝しなさい。

 And what is true in him must be as true in you.
 そして、兄弟にとって真実であることは、あなたにとっても真実であるに違いありません。



4. Ask yourself this: Can you protect the mind?
 次のことを自問してみなさい。自分には心を守ることができるだろうか、と。

 The body, yes, a little; not from time, but temporarily.
 たしかに、身体であれば多少は守ることができます。しかし、時間からは守ることはできず、ただ一時的に守ることができるだけです。

 And much you think you save, you hurt.
 そして、あなたが自分は守っていると思いこんでいる分だけ、あなたは実際には傷つけているのです。

 What would you save it for?
 あなたはいったい何のために身体を守ろうとしているのでしょうか。

 For in that choice lie both its health and harm.
 その選択次第で、身体は健康にもなれば傷つくことにもなります。

 Save it for show, as bait to catch another fish, to house your specialness in better style, or weave a frame of loveliness around your hate, and you condemn it to decay and death.
 別の獲物をおびき寄せるための囮として、より優れた容姿で自分の特別さを包みこんだり、自分の抱く憎悪の周囲を魅力的に織り上げた美しい装束で囲って見せるために身体を保護しようとするなら、あなたは身体に有罪判決を下して老衰と死に追いやっているのです。

 And if you see this purpose in your brother's, such is your condemnation of your own.
 もしあなたが自分の兄弟の身体をこんな目的を持つものとみなすなら、あなたは自分自身の身体にも同じ有罪宣告を下すことになります。

 Weave, rather, then, a frame of holiness around him, that the truth may shine on him, and give you safety from decay.
 だから、そんなことをしていないで、兄弟の周囲を神聖さで包み込んでください。そうすれば、真理が彼を照らし、あなたを老衰から無事に守ってくれるでしょう。

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5. The Father keeps what He created safe.
 大いなる父は、自らが創造したものを安全に保っています。

 You cannot touch it with the false ideas you made, because it was created not by you.
 あなたは、自分で作り出した間違った想念で大いなる父が創造したものに害を及ぼすことはできません。なぜなら、それはあなたによって創造されたものではないからです。

 Let not your foolish fancies frighten you.
 自分の馬鹿げた空想に脅えていてはなりません。

 What is immortal cannot be attacked; what is but temporal has no effect.
 不滅のものが攻撃されるはずがないし、仮初めの存在でしかないものが少しでも影響を及ぼすことはありません。

 Only the purpose that you see in it has meaning, and if that is true, its safety rests secure.
 ただあなたがそのものに見出す目的だけが意味を持ちます。そして、もしその目的が真実であれば、そのものの安全は保証されます。

 If not, it has no purpose, and is means for nothing.
 もしその目的が真実でなければ、そのものは何の目的も持たず、何の役にも立ちません。

 Whatever is perceived as means for truth shares in its holiness, and rests in light as safely as itself.
 どんなものであれ真理のための手段とみなされるものは、真理の神聖さを分かち合い、真理そのものと同じように、安全に光の中に安らぎます。

 Nor will that light go out when it is gone.
 しかも、その手段とみなされるものがなくなっても、その光が消えることはないでしょう。

 Its holy purpose gave it immortality, setting another light in Heaven, where your creations recognize a gift from you, a sign that you have not forgotten them.
 そのものに付与された神聖な目的は、天国に別の光を灯して、そのものに不滅性を与えました。天国では、あなたの創造したものたちは、あなたが彼らのことを忘れていないという印であるあなたからの贈り物に気づきます。



6. The test of everything on earth is simply this; "What is it for?"
 この地上にあるすべてのものの意義を見極めるテストはこれです。それは単純に「これは何のためのものだろうか」と問うことです。

 The answer makes it what it is for you.
 その答えが、あなたにとってそれが何であるかを決めることになります。

 It has no meaning of itself, yet you can give reality to it, according to the purpose that you serve.
 この地上にあるすべてのものは、それ自体では何の意味も持ちません。しかし、あなたは自分が奉仕する目的に応じて、それに実在性を与えることができます。

 Here you are but means, along with it.
 この地上では、地上にあるどんなものもそうであるように、あなたは手段でしかありません。

 God is a Means as well as End.
 神は大いなる手段であると同時に、大いなる目的でもあります。

 In Heaven, means and end are one, and one with Him.
 天国では、手段と目的はひとつのものであり、神とひとつのものだからです。

 This is the state of true creation, found not within time, but in eternity.
 これこそ、時間の中には見出せず、永遠の中にのみ見出せる真の創造の状態です。

 To no one here is this describable.
 この世界にいる誰に対しても、このことを言葉で説明することはできません。

 Nor is there any way to learn what this condition means.
 それに、この状態が何を意味するかを学ぶ方法もありません。

 Not till you go past learning to the Given; not till you make again a holy home for your creations is it understood.
 あなたが学ぶことを超越して神に与えられたものに到達するまで、すなわち、あなたが自らの創造物たちのための聖なる家を再建するまでは、この真の創造の状態が理解されることはありません。

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7. A co-creator with the Father must have a Son.
 大いなる父との共同創造者は、ひとりの大いなる子を持っているに違いありません。

 Yet must this Son have been created like Himself.
 しかも、この大いなるひとり子は、父自身と同じものとして創造されているはずです。

 A perfect being, all-encompassing and all- encompassed, nothing to add and nothing taken from; not born of size nor place nor time, nor held to limits or uncertainties of any kind.
 すなわち、この子は、あらゆるものを包含すると同時にあらゆるものに包含され、付け加えるべきものも取り除くべきものもないし、大きさや場所や時間から生まれたのではなく、どんな種類の制限や不確実性にも縛られることのない完璧な存在として創造されているに違いありません。

 Here do the means and end unite as one, nor does this one have any end at all.
 ここにおいて、手段と目的は確かにひとつのものとして結ばれ、この一なるものにはいかなる終わりもまったくありません。

 All this is true, and yet it has no meaning to anyone who still retains one unlearned lesson in his memory, one thought with purpose still uncertain, or one wish with a divided aim.
 これらのすべては真実です。それでも、このことは未習得のままのレッスンをひとつでも記憶の中に留めていたり、目的がいまだに定まらない思いがひとつでもあったり、分裂したことを目指す願望がひとつでも残っている者にとっては、何の意味も持ちません。



8. This course makes no attempt to teach what cannot easily be learned.
 このコースは、容易に学べないことを教えようとしているわけではありません。

 Its scope does not exceed your own, except to say that what is yours will come to you when you are ready.
 このコースはあなたの能力の限界を超えることを習得させようとするものでもありません。ただし、次のことは言っておかねばなりません。すなわち、本来あなたに属するものも、あなたの用意ができてはじめてあなたの許に訪れることになる、と。

 Here are the means and the purpose separate because they were so made and so perceived.
 この世界では、手段と目的は別々のものとして作られ、別のものとして知覚されていたがゆえに、手段と目的が分離しているからです。

 And therefore do we deal with them as if they were.
 そして、だからこそ、私たちも目的と手段に対処するに際しては、まるでそれらが分離しているかのごとくに扱うことになります。

 It is essential it be kept in mind that all perception still is upside down until its purpose has been understood.
 知覚することの目的が理解されるまでは、すべての知覚は逆さまのままだということを心に銘記しておくことが不可欠です。

 Perception does not seem to be a means.
 知覚は、手段であるようには見えません。

 And it is this that makes it hard to grasp the whole extent to which it must depend on what you see it for.
 そして、知覚は手段であるように見えないために、あなたが知覚を何のためのものとみなすかによって知覚するものがどれほど左右されるか、その全容が把握しがたいものになっています。

 Perception seems to teach you what you see.
 知覚は、あなたに見えるものをあなたに教えてくれるように思えます。

 Yet it but witnesses to what you taught.
 しかし、知覚はただあなたが教えたことを目撃するだけです。

 It is the outward picture of a wish; an image that you wanted to be true.
 知覚とは、あなたが真実であってほしいと望んだものが像を結んだ心象のことであり、願望が外に向かって描写されたものなのです。

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9. Look at yourself, and you will see a body.
 あなた自身を見ようとすれば、あなたには身体が見えるでしょう。

 Look at this body in a different light and it looks different.
 この身体を違う光に照らして見れば、それは違ったふうに見えます。

 And without a light it seems that it is gone.
 そして、光が消えると、身体はなくなったように思えます。

 Yet you are reassured that it is there because you still can feel it with your hands and hear it move.
 それでも、あなたは、依然として自分の手で身体に触れられるし、身体の動く物音も聞こえるので、身体が無事にそこにあると思って安心します。

 Here is an image that you want to be yourself.
 ここにあるのは、あなたが自分自身であってほしいと思うひとつの肖像です。

 It is the means to make your wish come true.
 身体は、あなたの願望を実現するための道具です。

 It gives the eyes with which you look on it, the hands that feel it, and the ears with which you listen to the sounds it makes.
 身体は、あなたが身体を見るための目や、身体に触れるための手や、身体が立てる音を聞くための耳を与えてくれます。

 It proves its own reality to you.
 身体は、身体自体が実在することをあなたに証明します。



10. Thus is the body made a theory of yourself, with no provisions made for evidence beyond itself, and no escape within its sight.
 こうして身体は、あなた自身が何者かという仮説を作り出します。もっとも、身体それ自体のほかには何の証拠も用意されてはいないし、身体の持つ視覚に頼らずには何も見る手立てはありません。

 Its course is sure, when seen through its own eyes.
 身体自身の目を通して見ると、身体の辿る道は確実なものです。

 It grows and withers, flourishes and dies.
 身体は栄枯盛衰します。

 And you cannot conceive of you apart from it.
 そして、あなたには身体とは別の自分など想像もできません。

 You brand it sinful and you hate its acts, judging it evil.
 あなたは、身体を邪悪なものだと価値判断して、身体に罪深いものだという烙印を押し、身体のなすことを憎悪しています。

 Yet your specialness whispers, "Here is my own beloved son, in whom I am well pleased. "
 それでいながら、あなたの特別でありたいとの思いが「ここに私の最愛の子がおり、この子の中でこそ、私は満足できるのだ」と囁きます。

 Thus does the "son" become the means to serve his "father's" purpose.
 こうして、この「子」は彼の「父」の目的に奉仕するための道具となります。

 Not identical, not even like, but still a means to offer to the "father" what he wants.
 同一ではないどころか似ても似つきませんが、それでもなお、その子は「父」に対して、その父の望むものを捧げるための道具なのです。 

 Such is the travesty on God's creation.
 このようなことは、神の創造のお粗末な真似事です。

 For as His Son's creation gave Him joy and witness to His Love and shared His purpose, so does the body testify to the idea that made it, and speak for its reality and truth.
 というのも、神による子の創造が、神に喜びを与え、神の大いなる愛を証明し、神の目的を分かち合ったのと同じように、身体は身体を作り出した想念を支持する証言をし、その実在性を代弁してそれが真実だと弁護するからです。

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11. And thus are two sons made, and both appear to walk this earth without a meeting place and no encounter.
 こうして、ふたりの子が作り出されたのです。そして、両者は、出合いの場もなく、決して出会うこともないままに、この地上を歩んでいるように見えます。

 One do you perceive outside yourself, your own beloved son.
 あなたが自分自身の外側に知覚しているひとりは、あなたの自作の愛し子です。

 The other rests within, his Father's Son, within your brother as he is in you.
 あなたの内側で安らいでいるもうひとりは、大いなる父の子であり、彼はあなたの中にいるように、あなたの兄弟の中にもいます。

 Their difference does not lie in how they look, nor where they go, nor even what they do.
 そのふたりは、彼らがどのように見えるか、彼らがどこに行くのかという点で異なることはないし、彼らが何をするのかということにすら両者の違いは見出せません。

 They have a different purpose.
 しかし、ふたりには異なる目的があります。

 It is this that joins them to their like, and separates each from all aspects with a different purpose.
 この異なる目的が、ふたりを自分に似た者たちと結びつけ、お互いを、異なる目的を持ったあらゆる側面から引き離します。

 The Son of God retains his Father's Will.
 神の子は、父の大いなる意志を保っています。

 The son of man perceives an alien will and wishes it were so.
 人の子は、神の意志とは相容れない異質な意志を知覚し、自らが神と異なる意志を抱くことを望みます。

 And thus does his perception serve his wish by giving it appearances of truth.
 かくして、人の子の知覚は、彼の願望に真理であるかのような外見を付与することによって彼の願望に奉仕します。

 Yet can perception serve another goal.
 それでも、知覚は別の目標に奉仕することもできます。

 It is not bound to specialness but by your choice.
 知覚は、あなたが選択しないかぎり特別性に縛られることはありません。

 And it is given you to make a different choice, and use perception for a different purpose.
 だから、あなたには、違う選択をして、異なる目的のために知覚を使う機会が与えられているのです。

 And what you see will serve that purpose well, and prove its own reality to you.
 そして、あなたの見るものがその目的に十分に奉仕するし、それ自体が本物であることも証明してくれるでしょう。


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