T10-2 私はだれ?


理解が沸き上がると言うと
あなたはそこに自分がいて理解が沸き上がるのだと思い込んでしまう
違う
そこにあなたはいまい
<理解>の中であなたは消え失せる
ちょうど太陽が昇ると
草の葉の上の露が消え失せるように
蒸発してゆくように――

あなたがエゴなのだ
あなたはいったい誰のことを言っているのかね?
あなたはまるで自分がエゴとは離れていて
エゴというのは何かあなたが落としたり運んだりできるものであるかのような言い方をする
それなら、エゴが落ちたときのあなたとは誰なのか?
あなたがその中で落ちるのだ

・・・

人々は自分自身と隠れんぼをし続ける
あなたは自分がひとつの理解に達し
そうしてからそれを落とさないでいようと決心したと思っている
そして、今度は落としたくなりたいと言って
私に質問している
それは、あなたがそういう理解の状態にいるとき
そういう理解の空間にいるときに落ちるものだ

だから、私はあなたのエゴの心配はしていない
そんなものは忘れてしまいなさい!
それは影法師のような現象だ



OSHO(「究極の旅」より)

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今回は、テキスト第十章から、忘れる決心という一節をご紹介します。


人間が自分だという感覚ははたして本当に確固たる根拠を持つ事実?

もしコースが語るように、私たちが神の子であることが真理だとすれば、私たちが、自分は地球上に生きる何十億人もの人間のひとりだと思っている現状は幻想であり、真実にそぐわない偽りの状態ということになります。

他方で、世界が教えるように、神など存在せず、私たちが人間ではなく神の子だなどという寝ぼけた戯言を信じるなんて狂気の沙汰だという考えのほうが冷徹な真実をありのまま承認する謙虚な姿勢のようにも思えます。

私たちが現状において、世界の中に存在する人間として自分が生きて機能していると実感していること、そして、それを裏付けるように、物理的に身体が存在し、個別の身体は別々に思考していることを示す証拠がふんだんにあることからすれば、後者の主張のほうが証拠に裏打ちされた論拠に基づく間違いのない現実認識だというようにも思えます。


世界が幻想であるなら世界が実在する証拠は捏造し放題!




しかし、前者の主張は、そもそも本当の自分のいる次元とは別の幻の架空世界の中の幻のキャラクターが自分だと信じ込んでいるわけで、世界も自分だと思う人間も幻想が本物だと錯覚しているだけだというものです。

したがって、もし前者の主張が真実なら、架空世界は幻であるがゆえに、架空世界が実在するという証拠はいくらでも捏造し放題なので、架空世界の提供する証拠はいかに説得的なものに見えてもまったく証拠にはならないということになり、後者の依って立つ基盤は根本から覆されることになります。

この点で、後者がいかに隙のない論拠、証拠で守りを固めても、それは、独裁国家が国際法的には理不尽きわまる自国の法律を盾に他国ではとうていまかり通るはずのない無法を押し通して内政干渉するな!と唸り声をあげているのと変わらないマッチポンプ的な自給自足理論でしかなく、一見説得的に見えはしても、実は根拠薄弱どころか無根拠である可能性が十分あることが理屈上は理解できます。


私たちは独裁国家の哀れな国民と同じで世界の説明を信じることしかできない

情報遮断されて外の世界を知らず、国家の提供する欺瞞に満ちたエビデンスに基づいた「確固たる証拠」を疑うこともできない哀れな国民たちは、国家の説明する「真理」を信じ込むことになります。

人間としての自分や客観的な物理世界の存在を信じている私たちは、この哀れな独裁国家の国民と同じ罠にはまっている可能性は否定できません。

「Appeal everything you believe gladly to God's own higher court, because it speaks for him and therefore speaks truly.
 あなたの信じることをすべて、喜んで神に属する上級裁判所に上訴するがよいのです。なぜなら、この上級裁判所は、神の声を語るがゆえに真実を語るからです。

 It will dismiss the case against you, however carefully you have built it up.
 あなたが、いかに念入りに自分が有罪であることの論拠や証拠を組み立てたと思っていても、上級裁判所は、あなたに対する訴えを退けるでしょう。

 The case may be fool-proof, but it is not God-proof.
 それは、誰が判断しても絶対に有罪が確実な事件かもしれませんが、神に通用するものではないのです。

 The Holy Spirit will not hear it, because he can only witness truly.
 あなたを有罪だとする論拠に聖霊が耳を貸すようなことはないでしょう。なぜなら、聖霊は真理に基づいて証明することしかできないからです。

 His verdict will always be "thine is the Kingdom," because he was given to you to remind you of what you are.
 聖霊の裁きはつねに『王国は、汝のものである』という判断となるでしょう。なぜなら、聖霊があなたに与えられたのは、あなたが何者であるかを思い出させるためだからです。」(T5-6 時間と永遠、10)


証拠で判断しようとすることの不毛さ

全能の存在が自分をきわめて強く能力の制限された存在へと貶め、空想の世界の中に引きこもっているとしたら、空想の世界が提供する証拠で無能化した自分を騙して説得することなど容易にできることです。

もし私たちが生まれた時からVRゴーグルを装着されて、VR世界とその中で自分が動くためのアバターが現実だと信じ込んだまま成長したとしたら、VR世界にもアバターにも、本当の世界や本当の自分を想像することすらできないはずです。

結局、証拠や理屈だけでどちらが真実か見極めようとすることは不毛なことです。


態度決定をしたうえで人生で実験する



それよりも、実利的に、どちらに真実であってほしいかという自分の素朴な直感や願望で態度決定して、実践によって果たしてそれが真実か確かめてみるほうが有益でしょう。

エゴとしての成功を収めアバターを操縦する楽しさに取りつかれて地上に生きる喜びを謳歌している「不幸な」人は別として、多くの人は、孤独に他者と隔絶した存在であるよりも、本当は他者と愛でひとつに結ばれた聖なる存在が自分であるというのなら、なんとしてもそれを思い出したいと心の奥底で自分の魂が叫んでいるのがわかるはずです。

そうであるなら、コースの言う私たちが本当はひとつの神の子であるということを真理とみなして前提として受け入れて、この発想に乗っかってみるべきではないでしょうか。


解離によって自分が何者かを忘れることで起こること

この前提に立つなら、私たちが自分は人間だと信じている状態は虚偽であり、虚構の自分に自己同一化する前には、本当の自分が神の子だという知識を持っていたのに、どういうわけか、その知識を忘れて、覆い隠してしまったということになります。

この忘れる決断である解離が起こると、自分が誰だか本当に忘れるということが可能となります。

「When you threw knowledge away it is as if you never had it.
 あなたが知識を捨て去ってしまったとしたら、あなたはまるで一度も知識を持ったことがないような状態になってしまうはずです。

 This is so apparent that one need only recognize it to see that it does happen.
 これは本当にわかりきった明白なことなので、誰でもただこのことに気づきさえすれば、それが現に起こっていることなのだとわかるはずです。

 If this occurs in the present, why is it surprising that it occurred in the past?
 もし知識を捨て去って自分がかつて知識を持っていたことを忘れ去ってしまうという現象が現在も起こっているのなら、同じことが過去に起こっていたとしても、驚くには値しないはずです。

 Surprise is a reasonable response to the unfamiliar, though hardly to something that occurs with such persistence.
 未知の出来事について驚くのは当然の反応ですが、ずっと繰り返し起こり続けていることに対して驚くのは、とても当然の反応とはいえません。」(T4-2 エゴの起源 3.)




解離は消去ではなく隠蔽 → 真の記憶は思い出せる

解離により記憶喪失になるだけでなく、幻の世界の中を意のままに操縦できるアバターをあてがわれるので、真実の状態をまず消去して初期化され、あらためて偽りの自己像にアイデンティティーを据える状態をインストールされるわけで、もともとの真実の状態を思い出すことは二重に困難になります。

しかし、解離は、臭いものに蓋をする心理的な仕組みでしかありません。

神が創造したものを消去し廃絶することなど神の子になしえないからです。

したがって、真実の状態は思い出すことが可能なままであり、それは、単に、本当はひとつのままの私たちの心にすでに存在しているものを回復させるだけです。

新たに以前と同じものを作り出すわけでもないし、どこかほかの保管場所に保管してあるデータを苦心して見つけ出してそれを持ってきて復旧させるわけでもありません。

そこにずっとあったままだけど「絶対に認めるもんか!」と否認していたものを改めて受け入れるだけです。



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テキスト第十章

II. The Decision to Forget  
二 忘れる決心



1. Unless you first know something you cannot dissociate it.
 何であれ、まずもってあなたがその何かを知っているのでなければ、あなたにはその何かを解離することはできません。

 Knowledge must precede dissociation, so that dissociation is nothing more than a decision to forget.
 解離する前に必ず知識があったはずです。そうだとすると、解離とは単に忘れようとする決断でしかないことになります。

 What has been forgotten then appears to be fearful, but only because the dissociation is an attack on truth.
 実際に忘れられてしまったあとでは、忘れてしまったその何かは恐ろしいものに見えますが、それは単に解離が真理に対する攻撃だからでしかありません。

 You are fearful because you have forgotten.
 あなたが恐れているのは、あなたが忘れてしまったためなのです。

 And you have replaced your knowledge by an awareness of dreams because you are afraid of your dissociation, not of what you have dissociated.
 そして、あなたは自分の知識を夢見る意識で置き換えてしまいました。なぜなら、あなたは、自分が解離したものではなく、自分が解離していること自体を恐れているからです。

 When what you have dissociated is accepted, it ceases to be fearful.
 自分が意識から解離させていたものを受け入れたなら、それはもう恐ろしいものではなくなります。

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2. Yet to give up the dissociation of reality brings more than merely lack of fear.
 それだけでなく、あなたが現実を解離するのをやめることでもたらされるのは、単に恐れがなくなるだけには留まりません。

 In this decision lie joy and peace and the glory of creation.
 自分が解離したものを受け入れると決断することで、喜びと平安、そして創造の栄光がもたらされるのです。

 Offer the Holy Spirit only your willingness to remember, for he retains the knowledge of God and of yourself for you, waiting for your acceptance.
 ただ思い出したいという自分の意欲だけを聖霊に捧げてください。というのは、聖霊はあなたの代わりに神とあなた自身についての知識を保っていて、あなたがそれを受け入れるのを待っているからです。

 Give up gladly everything that would stand in the way of your remembering, for God is in your memory.
 あなたが神と自分自身についての知識を思い出すことを邪魔するようなものはすべて、喜んで手放しなさい。というのは、神はあなたの記憶の中にいるからです。

 His voice will tell you that you are part of him when you are willing to remember him and know your own reality again.
 あなたが神を思い出して本当の自分自身を再び知ろうとする意欲を持つとき、神の声があなたは神の一部であるとあなたに告げてくれるでしょう。

 Let nothing in this world delay your remembering of him, for in this remembering is the knowledge of yourself.
 この世界のいかなるものにも、あなたが神を思い出すのを遅らせることを許してはなりません。というのも、こうして神を思い出すことによって、あなたは自分自身を知ることになるからです。



3. To remember is merely to restore to your mind what is already there.
 思い出すことは単に、あなたの心に、すでに存在しているものを回復させるだけです。

 You do not make what you remember; you merely accept again what is already there, but was rejected.
 あなたは、自分が思い出すものを作り出すわけではありません。あなたは単に、すでにそこにあるにもかかわらず、拒絶されていたものをもう一度受け入れるだけです。

 The ability to accept truth in this world is the perceptual counterpart of creating in the Kingdom.
 この世界において真理を受け入れる能力は、王国における創造に知覚の面で対応するものです。

 God will do his part if you will do yours, and his return in exchange for yours is the exchange of knowledge for perception.
 もしあなたが自分の役目を果たすなら、神は自らの役目を果たしてくれるでしょう。そして、あなたが役目を果たすことと引き換えに、その見返りとして神は知覚を知識へと交換してくれます。

 Nothing is beyond his will for you.
 あなたを思う神の意志を超えるものは何もありません。

 But signify your will to remember him, and behold!
 ただ、神を思い出すという自分の意志を示し、そして、しっかりと見てください。

 He will give you everything but for the asking.
 ただ求めさえすれば、神はすべてをあなたに与えてくれるでしょう。

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4. When you attack, you are denying yourself.
 あなたが攻撃するとき、あなたは自分自身を否認しているのです。

 You are specifically teaching yourself that you are not what you are.
 そのとき、あなたは、自分が本当のあなたではないと自分自身にはっきりと教えているのです。

 Your denial of reality precludes the acceptance of God's gift, because you have accepted something else in its place.
 あなたが現実を否認することが、あなたが神の贈り物を受け入れることを不可能にしてしまいます。なぜなら、あなたはすでに、神の贈り物があるべきところに何か別のものを受け入れてしまっているからです。

 If you understand that this is always an attack on truth, and truth is God, you will realize why it is always fearful.
 もしあなたが、神の贈り物の代わりに別のものを受け入れることはつねに真理を攻撃することであり、そして、真理とは神のことだと理解するなら、あなたは、なぜ攻撃することがつねに恐れに満ちたものになるのかわかるはずです。

 If you further recognize that you are part of God, you will understand why it is that you always attack yourself first.
 もしあなたが、さらに進んで自分が神の一部であることを認識するなら、あなたは、どうしてあなたが必ず最初に自分自身を攻撃することになるのか理解するでしょう。

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5. If you realized the complete havoc this makes of your peace of mind you could not make such an insane decision.
 もしあなたが攻撃をすると自分の心の平安を完全な荒廃に陥れてしまうと気づいたなら、あなたにはそんな狂気の決断などできないはずです。

 You make it only because you still believe it can get you something you want.
 あなたが攻撃する決断を下すのは、ひとえに、あなたが依然として攻撃することによって自分が望む何かを自分が得られるはずだと信じているからにほかなりません。

 It follows, then, that you want something other than peace of mind, but you have not considered what it must be.
 そうだとすれば、これが意味するのは、あなたは心の平安以外の何か別のものを望んではいるけれど、あなたはその別のものが何なのかまではよく考えてみたことがなかったということです。

 Yet the logical outcome of your decision is perfectly clear, if you will only look at it.
 しかし、もしあなたが自分の望む別のものが何なのか見てみようとさえすれば、あなたの決断の論理的な帰結は完全に明らかになります。

 By deciding against your reality, you have made yourself vigilant against God and his Kingdom.
 本当の自分に敵対する決断をすることによって、あなたは自分自身を、神とその王国に対して絶えず警戒を怠らずにはいられないようにさせてしまったのです。

 And it is this vigilance that makes you afraid to remember him.
 そして、この警戒心こそが、神を思い出すことに対してあなたに恐れを抱かせているものなのです。


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