W2ST-5.身体ってなに?

2013年09月21日
ワークブック・パート②特別解説 0

唯物論、無神論の人々が、たとえどのように善い人であっても、その人々は、常に肉体人間としての相対観で人生をみていますので、お互いの利害、これは個人社会人類の別なく、相対する利害の前では、どうしても争いの想念行為で結末をつけねばならなくなります。なぜかといえば、この人々にとっては調和し得る中心点がないからです。いいかえれば、相対したものを調和させる絶対者がいないのですから、お互いがお互いの力の争いによって、その結末をつけねばならないことになるのです。

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五井昌久(「霊的存在としての人間」41ページ)





The body is not a thing, it is a situation: it is our grasp on the world and our sketch of our project.
身体は単なる物体ではなく、身体はある種の状況です。身体とは、私たちが世界をどのようなものとして理解し、自分をどう対応させるか描いた見取り図だからです。

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Simone de Beauvoir, The Second Sex
シモーヌ・ド・ボーヴォワール(「第二の性」)





Jesus said, “Whoever has known the world has found the body; but whoever has found the body, of them the world isn’t worthy.”
イエスは言われた。「誰であれ、世界を知った者は、身体を見出した。しかし、誰であれ、身体を見出した者にとって、世界は価値を持たなくなる。」

Jesus Christ

Gospel of Thomas
イエス・キリスト(トマスによる福音書第80節)







からだに背を向けてはなりません。なぜなら、「はかなさ」、「限界」、「死」という、からだの表面的な特徴(思考の産物であり、幻想にすぎませんが)の奥には、「不滅」という、輝かしい真実が隠されているからです。真実を求めようと、自分の外側を探してはなりません。真実は、わたしたちのからだの内側以外には、どこにもないからです。からだを拒絶しないでください。それは自身の真実を拒絶することになるからです。あなたは、あなたのからだそのものなんです。ただ、わたしたちが見て、触ることができる肉体は、虚像であり、薄っぺらなヴェールでしかありません。そのヴェールの奥には、「大いなる存在」への入り口である、インナーボディが存在します。インナーボディをとおして、わたしたちは「目に見えない唯一の生命」、「生まれることも滅びることもない永遠の生命」とつながっています。そこから切りはなされてしまうことは、絶対にありません。インナーボディをつうじて、わたしたちは永久に神とひとつなのです。





エックハルト・トール(「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」157ページ)








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今回は、ワークブックのパート2から、「身体とは何か」をご紹介します。


普通に健全に生きてきて自分のことを人間でないと思う人はいません

私たちは本気で、自分のことを身体であると思っています。


身体こそが実在するもので、心の働きは、身体の脳が機能して生じる生理反応にすぎず、身体と心を比べれば、客観性のある身体のほうこそが本物だと信じています。

このような唯物論は、知覚できる物質的存在こそが確固たる不動のものだという素朴な信念に依拠しています。

でも、知覚自体が錯覚を見るための器官でしかないとしたら、簡単に基盤が崩れ去ってしまいます


私たちは、身体の目や耳といった五感を通して知覚するものが、本当に実在するものだと信じています。

そして、私たちは、身体の中の脳が心を生み出し、五感を通して知覚した情報を受け取り、思考する主体であると信じています。

車で言えば、運転手のいない車自体が自ら意志を持って思考し動くと考えるようなものです。





身体は夢の主人公

でも、どう考えたって、身体は道具です。

道具は何らかの目的に奉仕するために作られ、用いられます。

では、この幻想世界において、身体は、何のために作られたのでしょうか。

それは、分離幻想を維持する道具としてです。

神の子を、時間と空間の世界の中に、分割して幽閉するためです。

本来、神の子は、霊であり、神の思いであり、時間にも空間にも縛られない無形のたったひとつの存在です。

しかし、夜見る夢の中で私たちがたくさんの登場人物を生み出し、その中のひとりに一体化し、夢の途中で一体化する登場人物を変更することもありうるように、神の子はこの幻想世界を夢見て、無数に分裂した登場人物たちを生み出し、その一人ひとりに一体化しています。


身体は神の子を分離したまま幽閉しておくために有益な道具

身体は、神の子に本当の自分を忘れさせ、世界という牢獄に細分化したまま閉じ込めておくために有効な道具です。

空間的に、自分と他者との境目を作り、夥しい数の他者が存在することを知覚したひとつの身体と一体化した心には、本当の自分が何者なのか思い出すことなどできなくなってしまいます。

時間とともに老朽化し一定期間が経過すれば消滅するので、閉じこめられた個別の心が真相を思い出してしまう前に、リセットさせて、つねに神を忘れ、自分を忘れた状態に保つことができます。

このように、一なる神の子を分裂した無数の個別の心として幽閉するために作られた身体ですが、身体が奉仕する目的を変更することで、身体を神の子が正気を回復するための道具にして、神聖なものにすることができます。

聖霊に従うなら、身体は、ほかの小さな心とコミュニケーションを取るための手段になります。

世界の中で、私たちが身体を通して直面する出来事や出会いは、私たちが分離幻想を抱いて、忘れてしまったことを思い出すきっかけを与えてくれたり、依然としてしがみついている間違った信念に気づいて、それを赦す機会を提供してくれます。


トマス福音書の80節の意義

本節を基軸に冒頭のトマス福音書の80節の意義を考えてみましょう。

そのままでは、よく意味がわからない文章です。

Jesus said, “Whoever has known the world has found the body; but whoever has found the body, of them the world isn’t worthy.”
イエスは言われた。「誰であれ、世界を知った者は、身体を見出した。しかし、誰であれ、身体を見出した者にとって、世界は価値を持たなくなる。」



上記のように、世界と身体との関係性について、エゴの解釈と聖霊の解釈は逆転します。


エゴに従うなら、世界という分離幻想を維持する舞台、基盤が存続することが目的となり、身体はそのための手段となります。

聖霊に従うなら、世界という分離幻想を文字通り錯覚として見極めて無に帰すことが目的となり、身体はそのための手段となります。

他の英訳では"know"が"recognize"、"find"が"discover"となっているものもあります。

"world isn’t worthy."は次の英訳では、"is superior to the world."となっています。


Jesus said, "He who has recognized the world has found the body, but he who has found the body is superior to the world."


"know","recognize"は、すでに周知のものを認める、所与のものとして認知するというニュアンスなのに対して、
"find","discover"は、新たに発見する、あるいは、従来とは違う認識に移行する、気づくというニュアンスの言葉です。

したがって、 “Whoever has known the world has found the body;"の前半は、世界に所与の価値を置いて世界の実在性を認めるなら、誰しも身体に価値を見出すという文意になります。エゴに従う観点です。

後半の"but whoever has found the body, of them the world isn’t worthy.”は、" is superior to the world."と、誰であれ、身体の位置づけを新たに見出すなら、その者は世界を超越するがゆえに、その者にとって、世界は価値を持たなくなるという意味に解釈できます。
聖霊に従う観点です。


意訳するなら、世界に価値を置いた者には、身体は重要だが、身体の本質を見抜いた者は、世界を超越するので、その者にとって、世界は価値を持たなくなる、という感じです。





チェシャ (1) (1)


Workbook Part2


5. What is the Body
身体とは何か



1. The body is a fence the Son of God imagines he has built, to separate parts of his Self from other parts.
 身体とは、神の子が自分の大いなる自己の特定の部分をほかの部分から切り離すために自分が築いたと想像している囲いです。

 It is within this fence he thinks he lives, to die as it decays and crumbles.
 神の子は、自分はこの囲いの中に生きており、この囲いが朽ちて崩壊すると自分は死ぬと思っています。

 For within this fence he thinks that he is safe from love.
 というのも、この囲いの中なら、神の子は自分が愛から守られて無事でいられると思っているからです。

 Identifying with his safety, he regards himself as what his safety is.
 自分を安全に保つものと自分を同一視しようとするがゆえに、神の子は自分の安全を守る囲いが自分自身だと思いこんでいます。

 How else could he be certain he remains within the body, keeping love outside?
 このように考える以外にどうやって、愛を外側に閉め出しておきながら、自分が身体の中に留まっていると確信できるというのでしょうか。



2. The body will not stay.
 身体は永続しません。

 Yet this he sees as double safety.
 しかし、神の子は、このことを二重の意味で安全なことだとみなしています。

 For the Son of God's impermanence is "proof" his fences work, and do the task his mind assigns to them.
 というのも、神の子が永続しないことは、彼の作った囲いが機能して、彼の小さな心がその囲いに割り当てた役目を果たしている「証拠」になるからです。

 For if his oneness still remained untouched, who could attack and who could be attacked?
 もし神の子がひとつであることが依然として損なわれていないままだとしたら、攻撃する者も攻撃される者も存在しえないからです。

 Who could be victor?
 もし神の子がひとつのままなら、誰が征服者になれるというのでしょうか。

 Who could be his prey?
 誰がその征服者の餌食になりうるのでしょうか。

 Who could be victim?
 誰が犠牲者となりうるのでしょうか。

 Who the murderer?
 誰が殺人者になりうるのでしょうか。

 And if he did not die, what "proof" is there that God's eternal Son can be destroyed?
 そして、もし神の子が死ななかったとしたら、神の永遠の子が破壊されうるどんな「証拠」があるというのでしょうか。



3. The body is a dream.
 身体とはひとつの夢です。

 Like other dreams it sometimes seems to picture happiness, but can quite suddenly revert to fear, where every dream is born.
 ほかの夢と同じように、身体という夢は、たまには幸せを描き出すように見えることもありますが、きわめて突然に、あらゆる夢を生み出す元凶である恐れに本家帰りしてしまいます。

 For only love creates in truth, and truth can never fear.
 というのも、真に創造するのは愛だけであり、真理は決して恐れることができないからです。

 Made to be fearful, must the body serve the purpose given it.
 怖がるためのものとして作り出されているので、身体は自分に与えられた目的に奉仕せざるをえないわけです。

 But we can change the purpose that the body will obey by changing what we think that it is for.
 しかし、私たちは、身体が何のためにあるかについての自分の考え方を変えることによって、身体が従うことになる目的を変更することができます。



4. The body is the means by which God's Son returns to sanity.
 身体は、神の子が正気を取り戻すための手段となります。

 Though it was made to fence him into hell without escape, yet has the goal of Heaven been exchanged for the pursuit of hell.
 身体は、神の子を逃げ場のない地獄の中に囲いこむために作り出されましたが、すでに地獄という目標は天国という目標に置き換わっています。

 The Son of God extends his hand to reach his brother, and to help him walk along the road with him.
 神の子は、その手を自分の兄弟へと伸ばし、自分と一緒に道を歩むように兄弟を助けます。

 Now is the body holy.
 いまや、その身体は神聖なものです。

 Now it serves to heal the mind that it was made to kill.
 かつて心を殺すために作り出された身体は、いまや、心を癒すために奉仕するのです。



5. You will identify with what you think will make you safe.
 あなたは、自分を安全にしてくれると自分が思うものを自分と同一視します。

 Whatever it may be, you will believe that it is one with you.
 あなたが自分を安全にすると思うものが何であれ、あなたはそれが自分とひとつのものだと信じるようになります。

 Your safety lies in truth, and not in lies.
 あなたの安全は、真理の中に見出せるのであって、虚構の中には見出せません。

 Love is your safety.
 愛こそが、あなたを安全にするのです。

 Fear does not exist.
 恐れは存在しません。

 Identify with love, and you are safe.
 自分が愛であると認めてください。そうすれば、あなたは安全になります。

 Identify with love, and you are home.
 自分が愛であると認めてください。そうすれば、あなたはわが家にいることになります。

 Identify with love, and find your Self.
 自分が愛であると認めてください。そうすれば、あなたの真の自己を見つけることになります。

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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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