レッスン134「私がありのままに赦しを知覚できますように」


The only thing missing in any situation is that in which you are not giving
あなたが置かれた状況がどんなものであれ、唯一欠けているのは、あなたが与えていないものだけです。



Marianne Williamson
マリアン・ウィリアムソン

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レッスン134です。

今日のテーマは「私がありのままに赦しを知覚できますように」です。


参考記事

赦しとは何か?

レッスン126「私の与えるものはすべて、私自身に与えられる。」

赦しとキリストの顔

が参考になると思います。





赦しが空疎なものに感じられるとしたら

今日のレッスンは、赦しの理解にとって非常に重要なレッスンです。


赦しに取り組む際に、私たちが直面する最大の困難は、赦しを自己欺瞞のように感じてしまうことです。

世界の裏側で起こったニュースであれば、たくさんの人の生死にかかわることでも、比較的容易に幻想として赦すことができたように感じます。

けれど、自分の身近な範囲の出来事になると、些細なことはもちろん、重大事になればなるほど、とうてい幻想だとは感じられず、空念仏のように、「これは幻想で実在しないから取り消す」なんて繰り返しても、なんだか自分を騙して現実逃避しているような感覚につきまとわれることになります。


いつの間にか幻想のほうが実在するものとして思考の前提に入り込んでしまっている

これは、私たちが自分自身を見る際に、罪の概念が依然として自分の心を掌握し、エゴが心を支配し続けて歪んだ観点で物事を見ているということです。

これを別の言い方をすると、赦すべき対象が、幻想ではなくて、真理のほうだと信じてしまっているということです。

「3. The major difficulty that you find in genuine forgiveness on your part is that you still believe you must forgive the truth, and not illusions.
 あなたが真の赦しを担おうとして直面する最大の困難は、あなたが依然として、自分が許さなければならないのは幻想ではなく真理だと信じていることです。」

エゴに支配された心が歪んだ知覚によって、罪は本物である、つまり、真理であると信じているので「罪があるというのは幻想であり、罪のないことが真理だ。」という式の前半が否定されるので、後半もひっくり返り、「罪のないこと」は真実ではなく、錯覚だということになります。

そうなれば、幻想だとは言われるけれど心の中ではそうは信じていない(実在すると信じている)罪を赦すといっても、うそ臭く感じてしまうのです。


この罠に嵌るのはむしろ当然 → だからこそ、つねに自戒が必要

赦すことは、①実在しない幻想と見極めて②その認識通り無視することなわけですから、罪が実在するとの信念が払しょくできていない時点で、①の要件をクリアしていないわけです。

エゴ・身体にどっぷり浸かって自己同一化している私たちに、自分のいる世界が幻想だなんて思えないというのが当然の人情です。

現に自分だと思う身体があり、自分に害を与える他者の身体も目にして、他者のエゴからの非難と攻撃を認識して自他分離を実感している以上、このリアリティーから免れるのは容易ではありません。


自分の解脱や成長を目的に据えるのはかえって目的を遠ざける → 兄弟の救いにフォーカスする

自分に関心のフォーカスが向いているかぎり、このリアリティーの呪縛から脱する術(すべ)はありません。

救いの公式は、兄弟と一緒でなければ、赦しをなして癒し癒され、神を思い出すことはできないというものでした。

他者との関係の中で赦しをなすことで、身体の壁による自他分離がリアリティーを持つことが錯覚である気づくことになります。

本レッスンでは、
「Would I accuse myself of doing this?
 私はこれを自分が行ったとして、自分を咎めようとするだろうか。」
という自問を提案します。

「15. Then choose one brother as He will direct, and catalogue his "sins," as one by one they cross your mind.
 それから、聖霊の指示するひとりの兄弟を選んで、彼の『あまたの罪』が自分の心をよぎるたびに、一つずつ列挙していきます。

 Be certain not to dwell on any one of them, but realize that you are using his "offenses" but to save the world from all ideas of sin.
 それらの罪のどのひとつにも長々と執着することなく、自分が罪に関するあらゆる想念からこの世界を救うために彼の『非行』を用いているだけだと認識するようにしてください。

 Briefly consider all the evil things you thought of him, and each time ask yourself, "Would I condemn myself for doing this?"
 簡潔にあなたが彼について思いつく悪事のすべてを考えてみて、そのつど、自分自身に、『私はこれを自分が行ったとして、自分を咎めようとするだろうか』と尋ねてください。」


世界は赦しの実践にもってこいの聖霊の教室

世の中には赦しの実践の材料に事欠きません。

ワイドショーや新聞の社会面を見れば、みんなが寄ってたかって非難している誰かの悪行がいくらでも見つかります。

どれかを素材にして「私はこれを自分が行ったとして、自分を咎めようとするだろうか?」と自問してみてください。

自分が記者たちに詰め寄られてつるし上げ状態にされて、みんなが嬉々として言葉のパンチを打ち込み放題のサンドバッグになっているのを想像してみてください。

心臓がキリキリと締め付けられて苦しくなり、冷汗が背中を伝い、心細くて、親しい人たちに顔向けできない恥ずかしさ、申し訳なさと自分はダメだという自責の念が頭の中をぐるぐるして、質問に誠実に答えたいけれど、頭の中が真っ白になってしどろもどろになって立っているのもやっとで、足元から崩れ落ちそうになるのをなんとか踏ん張って持ち堪えるのが精一杯です。


悪を打ちのめす正義の味方もかっこいいけど、優しくみんなの幸せを実現するピースメイカーだってかっこいい

テレビでひとりぼっちで誰にも守ってもらえないままに、多くの人々から指弾されて目に涙を浮かべてうなだれている誰かの姿を自分自身に置き換えてみたり、自分の大切な家族、子供や配偶者、兄弟、親たちに置き換えて、もし家族が吊し上げにあっているのを目にしているとしたら、いったいどんなに辛いだろうかと考えてみてください。

私たちが罪をあげつらって留飲を下げている悪事を働いたその人は、事実、私たち自身(別バージョンの私)なのです。

すべてのアバターを体験しているのが、神のひとり子なのだというのですから、魂が輪廻していつか別の来世でその相手と同じ経験をするかもしれないという他人事に毛の生えた程度のことではないわけです。

いじめや虐待、犯罪、戦争によって、「もしこんな目に遭うのが自分だったら」と想像するだけで卒倒しそうになるような凄惨な出来事で世界は溢れかえっています。


コースがたびたび指摘するように、この世界が実は地獄であることが、よくわかると思います。



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Lesson 134





Let me perceive forgiveness as it is.
私がありのままに赦しを知覚できますように。



1. Let us review the meaning of "forgive," for it is apt to be distorted and to be perceived as something that entails an unfair sacrifice of righteous wrath, a gift unjustified and undeserved, and a complete denial of the truth.
 私たちで「赦し」の意味を再検討してみましょう。なぜなら、赦しという概念は歪曲されやすく、正義の怒りを不当に諦めることであるとか、それを受けるのが不当でふさわしくない者に与えられる分不相応な贈り物であるとか、真理を完全に否定することであると解釈されがちだからです。

 In such a view, forgiveness must be seen as mere eccentric folly, and this course appear to rest salvation on a whim.
 このような観点で見ると、赦しは酔狂な愚行でしかないとみなされ、このコースは気まぐれを救済の基盤にしているように思えるに違いありません。



2. This twisted view of what forgiveness means is easily corrected, when you can accept the fact that pardon is not asked for what is true.
 赦しが何を意味するかに関するこの歪んだ見方は、真実であるものに免罪が必要とされることはないという事実をあなたが受け入れることができれば、簡単に修正できます。

 It must be limited to what is false.
 免罪の対象は、偽りであるものに限られるはずです。

 It is irrelevant to everything except illusions.
 幻想を除いては、いかなるものも免罪を必要としません。

 Truth is God's creation, and to pardon that is meaningless.
 真理は神が創造したものであり、真理を免罪することなど意味をなさないからです。

 All truth belongs to Him, reflects His laws and radiates His Love.
 真理は神のみに属し、神の法を反映して、神の大いなる愛を隅々まで行き渡らせます。

 Does this need pardon?
 こうするために免罪が必要でしょうか。

 How can you forgive the sinless and eternally benign?
 どのようにすれば、あなたに罪のない永遠に善なるものを許すことができるというのでしょうか。



3. The major difficulty that you find in genuine forgiveness on your part is that you still believe you must forgive the truth, and not illusions.
 あなたが真の赦しを担おうとして直面する最大の困難は、あなたが依然として、自分が許さなければならないのは幻想ではなく真理だと信じていることです。

 You conceive of pardon as a vain attempt to look past what is there; to overlook the truth, in an unfounded effort to deceive yourself by making an illusion true.
 あなたは免罪することを、そこに存在するものを見て見ぬ振りをして真理を見逃す空疎な試みをして、幻想を真理に作り変えて自分自身を欺く根拠のない努力をすることだと考えています。

 This twisted viewpoint but reflects the hold that the idea of sin retains as yet upon your mind, as you regard yourself.
 このねじ曲がったものの見方は、あなたが自分自身を見る際に、罪の概念がいまだにあなたの心を支配し続けていることの反映にほかなりません。



4. Because you think your sins are real, you look on pardon as deception.
 あなたに免罪が欺瞞のように思えてしまうのは、あなたが自分の罪は本物だと信じているためです。

 For it is impossible to think of sin as true and not believe forgiveness is a lie.
 というのも、罪を本物だと考えておきながら、許しを偽りと信じずにいることなど不可能だからです。

 Thus is forgiveness really but a sin, like all the rest.
 こうして、許しは、そのほかのすべてのものと同じように、実際は罪のひとつにほかならないということになります。

 It says the truth is false, and smiles on the corrupt as if they were as blameless as the grass; as white as snow.
 こんな許しを行う者は、真理のことを虚偽だと言い張って、堕落した者に対して、まるで彼らが草のように非難すべきところがなく、雪のように潔白であるかのように微笑むのです。

 It is delusional in what it thinks it can accomplish.
 その者が自分が許しによって成し遂げることができると考えていることは妄想です。

 It would see as right the plainly wrong; the loathsome as the good.
 そんな許しがしようとしているのは、明らかな間違いを正しいこととして、忌まわしいものを善良なものとして見ることだからです。



5. Pardon is no escape in such a view.
 そんな観点では、免罪は何も免れることにはなりません。

 It merely is a further sign that sin is unforgivable, at best to be concealed, denied or called another name, for pardon is a treachery to truth.
 免罪は、せいぜい隠したり、否認したり、別の名前で呼んだりはできても、罪が許しがたいものであることをよりいっそう強く示す印でしかありません。というのも、免罪は真理に背くことになるからです。

 Guilt cannot be forgiven.
 罪悪感は、許されることができません。

 If you sin, your guilt is everlasting.
 もしあなたが罪を犯したなら、あなたの罪悪感は永遠に続きます。

 Those who are forgiven from the view their sins are real are pitifully mocked and twice condemned; first, by themselves for what they think they did, and once again by those who pardon them.
 彼らの罪が実在するとみなす見地から許される者たちは、哀れにあざけられ、二度重ねて咎められることになります。最初に、自分が犯したと思っている罪について自分自身によって咎められ、そして今度は、彼らを許す者たちによって再び咎められるからです。



6. It is sin's unreality that makes forgiveness natural and wholly sane, a deep relief to those who offer it; a quiet blessing where it is received.
 罪が実在しないことが赦しを自然で完全に正気なものにして、赦しを差し延べる者に深い安らぎを与え、赦しを受け取る者に静かな祝福を与えます。

 It does not countenance illusions, but collects them lightly, with a little laugh, and gently lays them at the feet of truth.
 赦しは、幻想を容認することなく、ただ、小さな笑い声とともに、さっと幻想を集めて、幻想を真理の足許に優しく置くだけです。

 And there they disappear entirely.
 真理の足許で、幻想は完全に消え去ります。



7. Forgiveness is the only thing that stands for truth in the illusions of the world.
 赦しだけが、この世界という幻想の中で真理を象徴する唯一のものです。

 It sees their nothingness, and looks straight through the thousand forms in which they may appear.
 赦しは、この世界という幻想が虚無であると理解して、幻想がその姿を現す無数の形態をまっすぐに通り過ぎて見通します。

 It looks on lies, but it is not deceived.
 赦しは偽りを目にはしますが、赦しが騙されることはありません。

 It does not heed the self-accusing shrieks of sinners mad with guilt.
 罪悪感で狂気に陥った罪人たちがあげる自らを咎める金切り声に、赦しが耳を貸すことはありません。

 It looks on them with quiet eyes, and merely says to them, "My brother, what you think is not the truth."
 赦しは、彼らのことを穏やかな目で眺めては、彼らにただ次のように言うだけです。「私の兄弟よ、あなたが思っていることは、本当のことではないのです」と。



8. The strength of pardon is its honesty, which is so uncorrupted that it sees illusions as illusions, not as truth.
 免罪が力強いのは、それが裏表のない率直なものだからです。この免罪の率直さはまったく損なわれることがないので、免罪は幻想を幻想として見て、真理とみなすことはありません。

 It is because of this that it becomes the undeceiver in the face of lies; the great restorer of the simple truth.
 このために、赦す者は、偽りの面前で迷いを覚ます者となり、単純な真理の偉大な回復者となります。

 By its ability to overlook what is not there, it opens up the way to truth, which has been blocked by dreams of guilt.
 免罪のそこに存在しないものを無視する能力によって、赦しは、罪悪感の夢によって妨害されていた真理への道を開きます。

 Now are you free to follow in the way your true forgiveness opens up to you.
 いまや、あなたは自分の真の赦しがあなたのために拓いてくれた道を心置きなく進んでゆくことができます。

 For if one brother has received this gift of you, the door is open to yourself.
 というのも、もしひとりの兄弟でもあなたからこの贈り物を受け取るなら、あなた自身に向けてその扉が開かれるからです。



9. There is a very simple way to find the door to true forgiveness, and perceive it open wide in welcome.
 真の赦しにつながるその扉を見つけ、その扉があなたを歓迎して大きく開かれていることに気づくための、とても簡単な方法があります。

 When you feel that you are tempted to accuse someone of sin in any form, do not allow your mind to dwell on what you think he did, for that is self-deception.
 あなたが自分がいかなる形の罪であれ、誰かを責めたいという誘惑に駆られるのを感じるとき、その人がしたことだとあなたが思っていることに自分の心を執着させないようにしてください。というのも、それは自己欺瞞だからです。

 Ask instead, "Would I accuse myself of doing this?"
 その代わりに、「これをしたのが私だったとして、私は自分を咎めようとするだろうか」と尋ねてください。



10. Thus will you see alternatives for choice in terms that render choosing meaningful, and keep your mind as free of guilt and pain as God Himself intended it to be, and as it is in truth.
 こうして、あなたは意味のある選択をなしうる見地から、選択肢を見るようになります。そしてあなたは、神がそうあるように意図したように、そして、真理においてそうであるように、自分の心を罪悪感と苦痛から自由に保つようになるでしょう。

 It is but lies that would condemn.
 非難しようとするのはただ偽りのみです。

 In truth is innocence the only thing there is.
 真理においては、潔白なものしか存在しないからです。

 Forgiveness stands between illusions and the truth; between the world you see and that which lies beyond; between the hell of guilt and Heaven's gate.
 赦しは、幻想と真理の間にあり、あなたの見るこの世界とその向こう側にある世界の間に、つまり、罪悪感の地獄と天国の門の間に橋を架けます。



11. Across this bridge, as powerful as love which laid its blessing on it, are all dreams of evil and of hatred and attack brought silently to truth.
 愛の祝福を受けるこの橋は愛と同じように強力なものであり、この橋を渡って、すべての邪悪さや憎しみや攻撃の夢の数々が静かに真理の下にもたらされます。

 They are not kept to swell and bluster, and to terrify the foolish dreamer who believes in them.
 これらの夢は維持されなくなるので、膨れあがって荒れ狂い、夢を信じこんでいる愚かな夢見る者を恐れさせることがなくなります。

 He has been gently wakened from his dream by understanding what he thought he saw was never there.
 彼は、自分が見たと思っていたものは一度も存在しなかったのだと理解することによって、自分の夢から穏やかに目覚めたのです。

 And now he cannot feel that all escape has been denied to him.
 だからもう、彼には、自分にすべての逃げ道が閉ざされているようには感じられません。



12. He does not have to fight to save himself.
 彼は、自分自身を救うために戦う必要などありません。

 He does not have to kill the dragons which he thought pursued him.
 彼は、自分を追いかけてくると思っていた竜を殺す必要はないのです。

 Nor need he erect the heavy walls of stone and iron doors he thought would make him safe.
 また、彼は、自分の安全を守ってくれるはずだと思っていた重厚な岩の壁や鉄の扉を作る必要もありません。

 He can remove the ponderous and useless armor made to chain his mind to fear and misery.
 彼は、自分の心を恐怖と悲惨さに縛りつけるために作られた重くて役に立たない甲冑を外すことができます。

 His step is light, and as he lifts his foot to stride ahead a star is left behind, to point the way to those who follow him.
 彼の歩みは軽やかで、彼が足を前に踏み出すたびに、ひとつずつ星があとに残り、彼に続く者たちに道を指し示します。



13. Forgiveness must be practiced, for the world cannot perceive its meaning, nor provide a guide to teach you its beneficence.
 赦しは、実践しなければなりません。というのは、この世界は、赦しの意味を知覚できないし、赦しの恩恵をあなたに教えるガイドをあなたに与えることもできないからです。

 There is no thought in all the world that leads to any understanding of the laws it follows, nor the Thought that it reflects.
 赦しが従う法則を少しでも理解できるように導くいかなる考えも、赦しが反映する大いなる思いも、この世界中のどこにも存在しません。

 It is as alien to the world as is your own reality.
 赦しは、本当のあなた自身と同じように、この世界とは相容れないものです。

 And yet it joins your mind with the reality in you.
 それでも、赦しはあなたの心をあなたの中にいる本当のあなたと結びつけます。



14. Today we practice true forgiveness, that the time of joining be no more delayed.
 今日、ひとつに結びつくときをこれ以上遅らせないために、私たちは真の赦しを実践します。

 For we would meet with our reality in freedom and in peace.
 というのも、私たちは自由と平安のうちに自分たちの本質と出会うつもりだからです。

 Our practicing becomes the footsteps lighting up the way for all our brothers, who will follow us to the reality we share with them.
 私たちの実践は、私たちの兄弟全員のために道を照らす足跡となります。彼らは、私たちのあとに続いて私たちと彼らが分かち合う真の姿に向かうでしょう。

 That this may be accomplished, let us give a quarter of an hour twice today, and spend it with the Guide Who understands the meaning of forgiveness, and was sent to us to teach it.
 これが成し遂げられるように、私たちは、今日2回、15分間を捧げて、赦しの意味を理解し、それを私たちに教えるために遣わされた大いなるガイドと一緒に過ごします。

 Let us ask of Him:
 聖霊に次のように頼みましょう。


Let me perceive forgiveness as it is.
私にありのままに赦しを知覚させてください。



15. Then choose one brother as He will direct, and catalogue his "sins," as one by one they cross your mind.
 それから、聖霊の指示するひとりの兄弟を選んで、彼の「あまたの罪」が自分の心をよぎるたびに、ひとつずつ列挙してゆきます。

 Be certain not to dwell on any one of them, but realize that you are using his "offenses" but to save the world from all ideas of sin.
 それらの罪のどのひとつにも長々と執着することなく、自分が罪に関するあらゆる想念からこの世界を救うために彼の「非行」を用いているだけだと認識するようにしてください。

 Briefly consider all the evil things you thought of him, and each time ask yourself, "Would I condemn myself for doing this?"
 簡潔にあなたが彼について思いつく悪事のすべてを考えてみて、そのつど、自分自身に、「私はこれを自分が行ったとして、自分を咎めようとするだろうか」と尋ねてください。



16. Let him be freed from all the thoughts you had of sin in him.
 その人に対してあなたが抱いてきたすべての罪の思いから、彼を自由にしてください。

 And now you are prepared for freedom.
 そうすれば、今、あなたは自由になる準備が整ったことになります。

 If you have been practicing thus far in willingness and honesty, you will begin to sense a lifting up, a lightening of weight across your chest, a deep and certain feeling of relief.
 もしあなたがここまで意欲をもって正直に実践してきたなら、あなたは高揚するような感覚や自分の胸の内側が軽くなるような感覚、深い安堵の感覚をたしかに味わいはじめるでしょう。

 The time remaining should be given to experiencing the escape from all the heavy chains you sought to lay upon your brother, but were laid upon yourself.
 残りの時間は、あなたが自分の兄弟を縛りつけようとしながら実は自分自身を縛ってきた重い鎖からの解放を体験する時間にするとよいでしょう。



17. Forgiveness should be practiced through the day, for there will still be many times when you forget its meaning and attack yourself.
 赦しは、1日を通して実践すべきです。というのも、あなたが赦しの意味を忘れて、自分自身を攻撃してしまうときは依然として何回もあるはずだからです。

 When this occurs, allow your mind to see through this illusion as you tell yourself:
 そのようなことが起こるとき、次のように自分自身に言いながら、自分の心がその幻想を通り越して見ることができるようにしてください。


Let me perceive forgiveness as it is.
私がありのままに赦しを知覚できますように。

Would I accuse myself of doing this?
私はこれを自分が行ったとして、自分自身を非難したいだろうか。

I will not lay this chain upon myself.
私は、この鎖で自分自身を縛りつけるつもりはない。


 In everything you do remember this:
 あなたが何をするに際しても、次のことを覚えておいてください。


No one is crucified alone, and yet no one can enter Heaven by himself.
誰も単独で十字架にかけられることはないし、誰も自分だけで天国に入ることはできない。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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